好きなだけ食え
何歳のときだったか覚えていないが、
父がケーキを買ってきた。
今はなき、所沢の家だ。
家族みんなで箱を開けて、僕は数を数えた。
記憶というのは曖昧なもので、
今日の今日まで、それは5つだったと思っていたけれど、
よく考えたら、祖父も祖母も同居していたから、
7つだったのかもしれない。
便宜的に、ここでは7つとしておこう。
とにかく1人1つずつ食べられる計算だった。
うれしいサプライズである。
何の気なしに「1人1つだね」と言った僕に。
父は少し苛立った声で言った。
「好きなだけ食え!」
いや、どう考えても1人1つずつなんですけど。
誰かが2つ食べたら、誰かが食べられなくなっちゃうんですけど。
僕が2つ食べたら、二人の妹も2つずつ食べたいだろうから、
そうなると、あと1つしか残らないんですけど。
理解不能な衝撃発言は、受け手をフリーズさせ、
最終的にはスルーされる。
想定外の一言に、父をのぞく家族は一瞬固まり、
その後、何事もなかったかのように、
1人1つずつ食べたいケーキを選んだ。
あれは、一体どういう意味だったのだろうか。
食べるものに困っていた戦後の幼少期を経て、
家族を支えるようになった男のプライドが言わせた一言、
というわけでもないだろう。
新しもの好きの祖父の思いつきで、
父は中学から私立に通っていたはずだ。
生活が苦しかったとは想像しずらい。
もっと違う一言を期待していたのか。
そもそも数えることが父の価値観的にNGだったのか。
「1人1つだね」は、「!」や「♪」がついた
「やったー、うれしい、1人1つずつ食べれるぅ〜♪」
のつもりだったけれど、そうは聞こえなかったのか。
もっと親孝行しておけばよかった、は
きっと誰もが思い悔やむだろうけれど、
じゃあ具体的に何?と聞かれたら、
僕の場合、この話を父としなかったことがそのひとつ。
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