学級委員をやらされる中学生だった
いたずら者で、お調子者だった小学3-4年生の時期を過ぎ、
小学5年になると、なぜか勉強をちゃんとする優等生的な存在になり、
学級委員長をやらされるようになりました。
自分は「リーダーシップ」というものが苦手で、
できれば、リーダーシップなどを発揮せずに、生きていきたいと思っています。
だから正直、学級委員長は向いていませんでした。
クラスメートに命令をすることが、まったく出来なかったし、
言うことを聞いてもらうことも、全然できず、
付和雷同的な選挙で「学級委員長」を決める制度に対する、疑念と違和感を、
ゆるし難く感じていました。その無責任な選挙が嫌で、それで推挙されるのも嫌で、
ある時、キレて辞退したことを、覚えています。
その時、あっさり再選挙で、スポーツの出来る体格の良い好青年が選ばれて、
クラスの皆がしっくりと、まとまった空気感になったことも、よく覚えています。
この時に感じた、「ひとつの方向に無責任に流れていく集団」の感触と、その反対に、
お仕着せの流れの受理でなく、「自然な本心が出た時のしっくりまとまる集団」の
感触とを、軽い疎外感と共に、いまも、それぞれ、よく覚えています。
この感触の記憶は、「人間の集団」に関する自分の最初の洞察として、
広告を仕事にしている今も、非常に有益に、役立っています。
生徒会長も中学時代に1期だけやったようなおぼろげな記憶ですが、
全然、向いておらず、むしろ苦痛だったのか、ほとんど覚えていません。
逆に「生徒会・事務局長」と呼ばれる役職は、水を得た魚のようなもので、
ポスターを作ったり、輪転機を回したり、嬉嬉として印刷物を量産する中学生でした。
ヒトには、ハッキリと向き不向きがあり、
向いてないことをやろうとしても、ストレスも高く、成果も出ません。
小学1年生の時の「年頭の決意」が、実家のタンスの側面に、今も貼られています。
「がんばて、にがてなものも、できるようにする。 1の2 すだ かずひろ」
しかし、それから45年たつ今も、苦手なものが出来るようにはなっていません。
それで、いいと思っています。苦手なものを頑張っても、ヒトには勝てませんから。
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