実際には存在しない缶ビールのこと
今クールは、ドラマが面白かったですね。
僕は、火曜日の「大豆田とわ子」と、
土曜日の「コントが始まる」が好きでした。
いいドラマだったな〜、両方とも。
といっても、「まめ夫」の方はまだ最終回だけ
見てないのだけど。(今から楽しみ)
で、そんなドラマを見ていてよく思うことがある。
それは、実際には存在しない缶ビールのことだ。
まあ缶ビールだけじゃなくて、車や、他の商品の
時も多々あるんだけど、今回は缶ビール。
とくに、コントが始まるは、部屋で飲みながら
三人で語り合うシーが多かったので、
かなりの頻度で、缶ビールが出てきた。
これは職業病っちゃ職業病なんだけど、
その架空の缶ビールがどうしても気になる。
のめり込んで観ていても、
その瞬間ちょっとだけ、その物語や時間が
「作り物」に見えてしまうのだ。
むむ、近くに美術部がいるなと。
もちろん、一般の視聴者の方はそんなこと
気にしないのかもしれない。
でも、めちゃめちゃ気になってしまうのだ。
熱く語らっている仲野太賀の演技は、
マジで掛け値なく、すんばらしいんだけど
その手に持っている缶ビールが、
「ま、これは作り話やけどね」と
副音声で語りかけてくるようである。
太賀と菅田くんは、アサヒ。
神木くんは、サントリー。
まあ、そりゃ色々ややこしいとは思う。
でもさ〜、その忖度どこまでする必要
あるのかな〜と思っちゃう。
その辺の「事情」のかわし方が、
まめ夫の脚本家の坂元裕二さんは
コントの脚本家の金子茂樹さんより
老獪なのかもしれない。そういった
大人の事情が気にならない構成になっている。
少なくとも、僕は気にならなかった。
ひょっとしたら脚本家じゃなくて
演出家の違いなのかもしれないけど。
(ちなみに、コントの最終回の終わり方は
素晴らしかった。脚本家の凄みを感じた。
まるでチャップリンの名言のようだった。)
で、ここで言いたいのは
『日本のドラマにおける、大人の事情に
ついての考察』ではない。その逆だ。
まあ、逆でもないのかもしれないけど
商品がまとっている「本当の空気」についてだ。
ドラマ内の、嘘の缶ビールが教えてくれるのは
実在する商品は、それがどんな商品であれ
多かれ少なかれ、そのまわりに「本当の空気」
をまとっているということだ。
その「本当の空気」は、普段何気なく
生活していると気づかないような、
本当に微弱な電波のようなものだけど
ドラマ等の中で無理矢理デリートされた瞬間、
その存在をありありと感じることができる。
それはちょうど、普段動いてるエスカレーターが
何かの事情で動いてなくて、
その上を自分の足で歩いて登る時の
あの感覚に似ている。
「う、なんか気持ち悪い」
脳が、いかに無意識に色んなことを処理しながら
生きているかがよく分かる。
ブランドもきっと同じようなものだと思う。
普段は、何気なさすぎて気づいてないけれど
ブランドや商品は、エスカレーターのように
知らず知らずのうちに、自然と僕らを
どこかに運んでくれているのだ。
だから最近はとくにそうなんだけど
企画する時に、その商品が放っている
その商品にしかない「本当の空気」をなるべく
そのまま届けるようにしたいと思っている。
若い頃は、自分の色を出すことに必死になるし
その時期はどうしても必要なものだと思う。
それはある種の、成長痛のようなものだから。
でも、今はどちらかというと
その商品にしかない「らしさ」のようなものを
見過ごさないようにしたいという意識が強い。
なんて、偉そうなことを言っておりますが
要は年をとったということですw
この間、マクドナルドでやった
「ハッピーセット卒業式」のCMなんかは、
まさにそういった「本当の空気」を意識して
企画したものです。こういう類のCMは、
企画コンテ上とても地味に見えるし、もっと
何かしなきゃという気にもなるんだけど、
案外そのままの状態で出すのが
一番強かったりするんですよね。
さ、大豆田とわ子の最終回見なきゃ。
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