リレーコラムについて

家庭内の年齢詐称

秦久美子

父親にずっと、年齢を詐称されていました。
それも、20歳ほど。

毎年みんなでお祝いする、父親の誕生日。
何年たっても50歳~52歳あたりを、
何度も何度も行き来していたのは、そういうことだったのか。

事の発端は、私が小学5年生の夏。

家の隣にある父親の事務所でアイスを食べながら、ゴロゴロお留守番をしていたときです。
何気なくデスクの上にポンと置いてあった父親の免許証に気付き、ぼーっと眺めていると
ある小さな違和感に気付きました。

「昭和4年 ●月●日生」

ん・・・・?

お父さんって、50歳位やんな。ってことは、昭和20年代生まれのはずやんな・・。
昭和4年??お母さんって、確か昭和28年生まれやんな。
え。うそやん。え。まって。
え。
昭和4年て・・・・・、もう、ギリギリ大正やん。(※大正ではない。)

お父さんは、物心ついたときからずーっと、
私と妹には、自分のことを50歳(時々52歳)だと言い聞かせてきました。

「ずーっと」50歳だと言い聞かせているというところで
なぜその時点でおかしいと気づかなかったのかも謎なのですが
とにかく私は父親のことを、About50歳の男性だと思って、その時まで生きてきました。

昭和4年生まれ、それは今年父親が、御年68歳になる年であることを意味します。

パニックになった小学生の私は、帰宅した父親に泣きそうになりながら、詰め寄りました。

「パパ、免許証見てしまったんやけど、パパって、ほんまは・・・68歳なん?」

わ。ついに、バレたか、みたいな気まずそうな顔の父親。
気まずすぎる、食卓の雰囲気。
うつむく母親。目をむく妹。
そんな空気の中発された、父親の嬉しそうな渾身の一言。

「そやで!ぼく男前やから、全然わからへんかったやろ?」

なんのポジティブや。

娘が、父親に騙されたと思って傷ついているのに、どの角度からのポジティブや。

父親が高齢だったということよりも、
大好きな父親に長い間嘘をつかれていたという事実が、とても悲しかったわたし。

まぁ、自分が57歳の時に生まれた子だということも最初は若干受け入れがたかったのですが
中学になる頃には、ネタにするまでにメンタル回復しました。
ちなみに妹は、父親が60歳のときの子供です。
元気。

そんな、キングオブポジティブで強心臓な父親も、寿命というものには抗えず
6年前にこの世を去りました。

とくに何か病気を患ったわけでもなく
割とシンプルめの老衰で亡くなりました。

 

実の娘に20歳もサバをよみ続けた、お父さん。

入院したとき、「タイプじゃない」という理由で看護師さんをチェンジした、お父さん。

「愛は、思いやりや。」と「天上天下唯我独尊」が口癖の、お父さん。

70歳過ぎて、ニューエラの帽子とドジャースのジャンパーというカラーギャングみたいな恰好で町内の掃き掃除に行く、お父さん。

認知症になって、お母さんのこと忘れて、老人ホームでまさかの2回目のプロポーズをした、お父さん。

しかし、ドーベルマンをなんで3匹も飼っていたの、お父さん。

 

仕事で落ち込んだときや、何かで自信がなくなったときは、
ふと、そんな父親のことを思い出します。

―私の半分は、まぎれもなく、あのお父さんで出来ている。―

そう思うと、底知れぬ自信と強さが沸いてくると同時に
えもいわれぬ自分への、何故か心地よい怖さを感じることが、できるのです。

 

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