小石至誠さんの本の話:1
さて、コピーライターであれば、あの糸井重里さんと並んでコピーライターという肩書きで紹介されるとしたら、その何ともいえない心境を想像していただけますよね、というお話です。
今年の10月に亡くなられてしまった、マジシャンのパルト小石こと小石至誠さん。笑点などのテレビ番組の中でも「あったまグルグル」のネタでおなじみのナポレオンズというコンビで、頭をグルグル回されていた、あの人です。小石さんとは以前に、友人たちの遊び場のようなバーを一緒に経営していたこともありまして、マジシャンならではの知性とユーモアを怪しくもカッコよく漂わせている大人な姿に、いつも憧れていました。闘病中もまたお会いできる日を待っていましたので、悔しくて寂しくて。いまだに信じられない気持ちでいます。
その小石さんが自伝的小説『神様の愛したマジシャン』(徳間書店 刊)を出されたのは、2008年のことでした。小石さんから「後藤さんも帯のコメントを書いてよー。」と言われて書かせていただいたのですが、そのメンバーが糸井重里さんをはじめ、荒木一郎さん、春風亭昇太さん、映画監督の永田琴さん、立川志の輔さん、松尾貴史さん、高井研一郎さん。錚々たる皆さんと並んで、しかも糸井重里さんの隣でコピーライターという肩書きで紹介されることになってしまったのです。その時の何ともいえない心境ったら。いたずらっぽく笑う楽しそうな小石さんの顔を見て、僕も一緒に笑うしかなかったのでした。
小石さんを通じて、僕は小石さんの故郷である岐阜県の関市で人気のお蕎麦屋さんのご主人、Sさんとも仲よくさせていただくことになります。Sさんが打たれるお蕎麦は本当に美味しくて、関のお店にも何度も行かせてもらっていますし、Sさんを東京にお呼びして蕎麦会を開催するなど、何年もお付き合いを続けさせていただいてきました。
そうして東京での何度目かの蕎麦会の時に、Sさんが僕の耳元で囁いたのです。「後藤くん、Nちゃんって覚えてないかな?俺の妹だから。」Nちゃんとは、その時よりさらに遡ること20年ほど前に縁のあった僕の女友だちで、もう連絡を取っていませんでしたが、彼女が帰省した際に実家に置かれていた小石さんの『神様の愛したマジシャン』の帯のコメントと名前を見て、「この後藤国弘って、私の知ってるクニちゃんかも!」と言ったというのです。さらに意味深な笑顔を浮かべながら、Sさんは言いました。「スゴい写真も残っているぞ、、、」と。20年という時空を超えて僕の記憶の中で、さまざまな場面が再生されます。その場にいた小石さんも、一緒にいた松尾貴史さんも、そして同じTCC(東京コピーライターズクラブ)のメンバーであり今から8年前に亡くなってしまった鵜久森徹くんも、大喜びです。でも僕は、まだ信じていませんでした。あんな写真が本当に残っているなんて。・・・つづきは明日。
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