小石至誠さんの本の話:2
さて、コピーライターであれば、あの糸井重里さんと並んでコピーライターという肩書きで紹介されるとしたら、その何ともいえない心境を想像していただけますよね。今年の10月に亡くなられてしまった大好きだったマジシャン、ナポレオンズのパルト小石こと小石至誠さんが2008年に出された自伝的小説『神様の愛したマジシャン』(徳間書店 刊)の帯に、糸井重里さんらと並んでコメントを書かせていただいたことがきっかけで、まさかと思うようなことが起きたという昨日のお話のつづきです。
その小石さんを通じて何年も仲よくさせていただいてきたのが、小石さんの故郷である岐阜県の関市で人気のお蕎麦屋さんのご主人であるSさんでした。ある日、Sさんの妹のNちゃんが帰省した時に実家に置かれていた小石さんの『神様の愛したマジシャン』の帯のコメントと名前を見て「この後藤国弘って、私の知ってるクニちゃんかも!」と言ったというのは、はい、人違いではありませんでした。当時はもう連絡を取っていなかったNちゃんは、僕が20代の頃に出会って何人かの友人たちで集まっていた仲間の一人で、本当にSさんの妹さんだったのです。さらに東京での前回の蕎麦会の時に、Sさんが意味深な笑顔を浮かべながら言った「スゴい写真も残っているぞ、、、」という言葉も、嘘ではありませんでした。その時、青春の思い出が20年という時空を超えて、カチッと音を立ててつながったのです。
その話を一緒に聞いて大喜びしていた小石さんや松尾貴史さんや鵜久森徹くんも楽しみに待つ中で、次の蕎麦会が開かれました。会場は下北沢にあったカフェ、スローコメディファクトリー。小石さんとも親交の深かったコメディライターの須田泰成さんが当時経営されていたお店です。約束通り、Sさんが岐阜から持ってきてくれた写真には、妹であるNちゃんの当時の部屋(東京の青砥にあったことを覚えています。)で彼女のワンピースを着て、下着まで着けて、どぎつい厚化粧をしている20代の僕が写っていました。ちゃんと内股で座っている姿は、いじらしいほどでした。この時、人間は本当に膝から崩れ落ちるのだということを、僕は初めて体験したのだと思います。その写真を一緒に見ながら、今では二人とも旅立ってしまった小石さんと鵜久森くんの最高に嬉しそうな大爆笑を忘れることができません。確か新宿二丁目に勤めるクニちゃんという設定で、これから遊びに来る別の友だちをダマそうという、酔っ払った若者たちの何てことのない悪戯だったと思います。それが20年の時を経て、思いもしなかったインパクトで自分の身に降りかかってくるとは。まったく、小石さんの小説の帯にコメントを書いたせいです。いいえ、コメントを書かせてもらったおかげですね。あれ以来、Sさんのことを僕は「お兄さん」と呼ばせていたただき笑、小石さんのこともいっぱい話しています。
小石さんの、スマートな大人の照れが好きでした。多くの人に慕われながら、飄々と気持ちよく漂わせている品が好きでした。そして、いつもお気に入りのウンダーベルグを飲みながら、あの柔らかな声で発せられる言葉が好きでした。小石さん、ありがとうございました。
やはりコピーライターのためになるお話では全くありませんでしたが、僕がコピーライターだったからこそ小石至誠さんの小説の帯にコメントを書かせていただき、こんな体験もしたのだということで、どうかお許しください。最終日の明日は、クリスマスイブですね。
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