リレーコラムについて

年齢と経験を重ねることについて

尾上永晃

宮本さんのバースデーソロライブ「宮本浩次縦横無尽」を観た。歌曲演奏演出すべてがハマっててなんなら途中で少し泣いてしまった。
エレカシで30数年活動してからのソロ活動3年目。1年目のバースデーソロライブはリキッドルームで自らパソコンのボタンを押しトラックを流すくらいの手弁当感があり、2年目は配信でスタジオを動き回り、今年はバンドセットで数千人規模のホールかつエレカシの無骨な演出とは異なる映像や空間全体を駆使した演出。デビュー40年目にして、さらに加速している。なのに、ライブパンフレット用にインタビューをさせて頂いた際は自分はまだ新人でようやく歌手になれてきたと本気で言っていた。

トヨタのマチホタルという交通安全キャンペーンをやったとき、キャラクターデザインを藤枝リュウジさんがやってくれた。ハッチポッチステーションなどの絵を描かれている人だ。偶然移動車で一緒になったときに、本心から藤枝さんの絵が素晴らしく自由で憧れるという話をした。そしたら、そうなんです最近ようやく自由に描けるようになってきたんです。とおっしゃった。その時70数歳の大御所が。

神田伯山と爆笑問題の太田光がやっていた番組「太田伯山」で、太田は加齢が怖いと言っていた。テレビは若い人の舞台だから徐々にずれていきそうだと。対して、伯山は加齢が楽しみだと言っていた。講談師は年齢とともにできる表現が変わるし、上手くなっていくから自分が師匠筋の年頃になったらどうなることかと。

先週日曜の夜。借家の寝室と仕事部屋のボタン鍵を子供が内側から押して外側から閉めることで密室が完成した。どうしても開かない。困って夜中に鍵屋を呼んだら若い兄さんが来た。1時間くらいかけて結局開かず申し訳なさそうに帰っていき、僕ら一家は床で寝た。翌日不動産屋に相談したらつながりのある鍵屋のおやっさんが来て10分で開けて帰っていった。

このまま仕事を続けてそんな風に自由な領域に到達できるのだろうか。特に広告は「若いが強い」が根底にある仕事だ。常に新しいメディアや手法が生まれては、そちらに向き合う必要が出てくる。将来、「テレパシーメディア使うんだから感覚が大事なのにあの人の打ち合わせわざわざ案を説明しないといけないのおかしくない?パッとわかれよな。」と陰口を叩かれる可能性など無限にある。怖すぎる。メディアや手法において常に最新でい続けるのはそういうフェチズムがない限り難しい。じゃあ、未だ第一線のお歴々は最新で興奮する癖でもあるのかというと、そこそこありそうだけどそれがメインではなさそうだ。

運のいいことに、すごい方の元で案を出したりさせていただく機会がこれまで多々あった。最近っぽい手法でわかりづらいけど伝わるかしら?と恐る恐る案を出していたが、共通していたのは、先達が徹底して人間の話をするところだった。そういう時そんなことする?こういう気持ちになった方がこうするのでは。といった塩梅でハッとさせられたことしきり。メディアも年齢も関係なく、普遍的な人間の気持ちに寄り添っているのだと思った。例えば、ポカリを手掛けたチームなど古川さんを筆頭に40〜60くらいのおじさまチームだ。それがあんな青春を描いている。若者むけだから若者が考えるべきなんて話を吹っ飛ばす青春が、失礼ながらあまりキラキラした青春を過ごしてなさそうだったお歴々から出てくる(すみません)。これはやはり昔の青春も今の青春も人間の心は根本は変わらないことを理解していて、変化した部分はここだろうという洞察があり、それを支える企画の経験値と表現の幅があるために可能になっている。逆に対象(青春)に近すぎることで相対化できないことも多々ある。

プランナーやコピーライターは長いこと仕事をしていると概ねクリエイティブ・ディレクター(CD)という役職になりがちだ。なので、CDを続けた結果、年齢とともに凄みが出てくるものなのか、というテーマが新たに現れる。

最近はCDが増えてきて、CDのバーゲンセールかとベジータばりのセリフがたまに聞こえる。これは専門分野CDとゼネラルCDが混同されているから起きていることでないかと思う。とにかく広告のプレイヤーは多いし、なかなか引退しない。だから大仕事をやるCDのメンツはあまり変わらない。そこにきて、メディアやテーマが細分化して参入障壁も下がることで、ある特定ジャンルはこっちでやるぞ!という風に分派して存在する専門分野CDが増えてきた。それを見て増えすぎと言う声が上がっているのだろう。声を上げる人は、どちらかというとある程度の経験を重ねた結果到達する役職としてのCDをイメージしてるため、そんな誰しもなれるもんじゃないと言う。実際は免許制でもないので誰でも言ったらなれる。ただそれが専門分野でやるCDなのか、どんなクライアントでもどんなボールでも打つゼネラルなCDなのかという違いで、後者になるにはやっぱり経験が必要だとは思う。ちなみに、どんな悪球でもホームランにする岩鬼的なCDがレジェンドと言われる人たちだと解釈している。どっちが良いとかではない。若い段階で狭まった領域でCDやった方が成長速度は早いとは思う。個人的には広範囲でやるのが好きなんで、なんでもどんな姿勢でも打てるようになりたい。

しかし、ゼネラルというのはパッとしない。一つのテーマを極めた方が職人的でかっこいいし積み重ねも明確に見えてきそうだ。広範囲でやった結果、ひげが真っ白になった頃に自分は何を得られるのだろうか。

最近は、それは人間の業とか本音の専門家みたいなものなんじゃないかと思ったりする。ゼネラルがゆえに、想像だにしなかったターゲットや課題に向き合うことで、知らなかった世界が開けていく。楽しめるものが増えて自由になっていく。広範囲にやることは希薄にも見えるけど、同時に広く慮ることでもあるんだと思うようになった。たとえば、おじさんなのに若い女性ターゲットの仕事をやったり、若者なのに高齢者ターゲットの仕事をやったりと、自らと距離が遠そうなものに対する仕事が増えたら、もっと相互理解が深まる企画が生まれることもあるんじゃないか。近いターゲットをについて属性が近い人が考えればいいだけの世界になったら、それこそ分断の世界になっていくんじゃないか。

仏教世界では、自らを器と捉えて変容を受け入れよと教えるらしい。寺の横の高校で座禅させられていた頃はまったく分からなかったけど、今は少しわかる。あえて何でも受け入れて、想像だにしない状況に身を委ねていくうちに他者に興味を持ち始めて通底する普遍性に目が行き始める(宮本さんも名著「俺たちの明日」でそんなことを書いてたから間違いない)。

やればやるほど、広告は人間学なんじゃないかとたまに思う。職能を突き詰めた先に何かがあると考えると悩んでしまうけど、人間について学んでいった先に何かがあると捉えた方が、寄り道だらけの広告の仕事もなんだか自由で職人的な道につながっていく気がする。

 

さて、これで僕の担当はおしまいです。なんでか毎度理屈臭くなってしまってすみませんでした。

最後に、
一連のリレーコラムで一番伝えたかったことです。

 

 

 

ピロッチ!

 

ピロッチ!

 

ピロッチ!

 

ピロピロピロピロピロ

 

ピロピロピロピロピロ

 

ガダボン

 

ありがとうございました。

山椒の実の加工方法や、野沢菜と牛肉の鍋の作り方など常に食材と生活の話を一緒にしてくださる細川美和子先輩にバトンをパスします。生活を大事にしないで何が仕事か、という姿勢に常に刺激を受けています。よろしくお願いします。

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