我が人生最高の時
我が人生最高の時は、何の前触れもなく突然、やって来た。
その日、僕は出向先の会社で終日研修を受けていて、
2時間の講義のあと、5、6人でグループに分かれて
ワークショップを受けることになった。
今となってはこのワークショップが何をテーマに扱ったものだったのか、
何を学ぶためのものだったのか、正直、まったく覚えていない。
まず各自の椅子を移動させ、グループごとに円をつくり、
時計回りで順番に参加者が各々簡単な自己紹介を行う。
僕の番がやってきて自己紹介を終えた時、
ちょうど向かい側に座っていた、
まだ社会人3、4年目ぐらいの若い女性が
唐突に、僕に向かってこう言った。
「ジョセフ・ゴードン=レヴィットに似てるって言われませんか?」
ジョセフ・ゴードン=レヴィット?
グループの中には誰だかすぐにわかった人はいなくて、
みんながスマホで検索する。
ジョセフ・ゴードン=レヴィット
アメリカ合衆国の俳優。
「(500)日のサマー」でゴールデングローブ賞受賞。
「インセプション」「ザ・ウォーク」など多数の作品に出演している。
「あ〜、この人。名前は知らないけど確かに見たことある」
というみんなのリアクション。
そして、同時におそらく、みんなこうも思っている。
「まったく似てない!」
もちろん、僕もそう思う。
もし、人類の男性を4種類に分けたとしたら、
「似ているグループ」に入るかもしれないけど、
8種類に分けた時点でたぶん同じグループから外れる。
それぐらい似ていない。
一応、僕の顔を説明すると、
のぺっとしたホリの浅い顔で、
目鼻立ちぱっちり! とはほど遠い。
しかも、顔色が悪く、元気な時も(なぜか元気な時ほど)具合が悪いように見える。
さらに顔の全パーツが真ん中に集まっており、
先日、会社のスタジオでポートフォリオ用の撮影をしたのだが、
どんなに照明の工夫をしても、どんなに僕がかっこうをつけても
顔に陰影が生まれず、
「ジャケットを羽織ったこけしが、こちらを振り向いてなぜか微笑んでいる」
みたいな写真になってしまった。
「全然、似てないじゃないですか?」
と僕が言うと、その女性は意外そうな表情を浮かべる。
「え〜、そっくりですよ!」
どうも女性は大真面目なようで、周りの人に
「似てますよねえ?」などと同意を求めている。
からかっているという雰囲気ではない。
グループ内の自己紹介が終わるまで、僕は意識的にちょっと困惑した苦笑いを維持した。
ワークショップ中は、とっくにジョセフ・ゴードン=レヴィットに
似ているなんて言われたことは忘れているフリをした。
でも、本当は。
嬉しかった! 本当に心の底から嬉しかった!
グループワーク中も、つい表情が緩んでしまいそうになる。
人生の中でハリウッドスターに似ているなどと言われることが、
一度でもあるなんて。
その日、一日有頂天だった。
こんなに気持ちいいことがあるだろうか。
我が人生最高の時だ。
もちろん、これまでの人生の中でとても嬉しかったことは他にもある。
子どもたちが生まれたときは、最高に嬉しかった。
でも、同時にその責任の重さに恐怖し、足がすくむ思いだった。
幸運にも賞をいただいたときは、最高に嬉しかった。
でも、賞をいただいたからと調子に乗ってはならないと、なにより自制心が最初に働いた。
それに比べて、このなんの責任も重圧もない喜び。快感。悦楽。
海外の俳優に似ていると言われただけで、こんなに有頂天になれるなんて。
自分は自分が思っている以上に単純なようだ。
今だってあの日のことを思い出すと、顔がニヤついてしまう。
もちろん、あの日以来、ジョセフ・ゴードン=レヴィットに
似ていると言われたことは、一度もない。
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