批評と愛
批評は愛だと思う。
愛の量に比例して、批評は言葉を鋭くしていいものだと思う。
攻撃を目標とするのではなく大きな愛があるから叱咤する。
それは何くそという気持ちを生んだり、
その考えの先に行こうとする人の背中を押したり、
その考えがいかに浅いものかを証明するものを生んだりもする。
その輪のなかにいるひとがみな
大きな愛のなかにいるから成立する。
だから批評は文化をみがく。そして文化は育つ。
逆にいうと批評のない文化は痩せていくということかもしれない。
レビューや星を参考にする習慣が
批評をどこかめんどくさいものにしている。
愛っていうのはだいたい重くて面倒なものだし。
かつて広告にも批評があった。
そういう雑誌があった。
その名はそのまま広告批評。
僕がこの業界に入ったときには批評的なニュアンスはだいぶ後退していて、
水先案内のような雑誌になっていた。
もうひとつCMジャーナルという小さなメディアがあって
その編集をしていた菊池由美さんは存在が批評そのもので、
愛と正義のひとだった。
亡くなって14年ほどたつけれど
帰り道にときどき菊池さんの顔を思い出す。
またお会いして、ぴしゃっと叱られたい。
批評は愛だと思う。
愛はそれを使いこなすスキルがないと
迷惑なものになるけど
やっぱり必要なものだ。