リレーコラムについて

新しい感謝?(ありがとおくり)

梅田大輔

こんにちは。
2002年入会の梅田大輔です。
人口の多い団塊ジュニア世代の
コピーライターです。

少し前に父がなくなりました。
難病とされる病気が数年前からじわじわと悪くなり、
あるときからぐっと速まって、
家族が覚悟していたよりも早い他界となりました。
リハビリにはずっと前向きだったので、
最期までよくがんばったのではないかなと思います。

新潟県の山間部で生まれ育った父のきょうだいは、
子どもの頃に両親と死別していて、
親戚が親代わりになって育ててくれたそうです。
だから父も中学を卒業するとすぐ働く必要があって、
昼間は仕事をして、夜から学校に行って、
そのまま学校に泊まり、早朝4時から6時まで授業をして、
仕事に行くような生活だったそうです。
そういう「朝学校」というものが昔はあったそうですね。

そんな父の若い頃のことなどを、
親戚や近隣の方が弔問に訪れては話してくださるので、
あらためて、そんな父の人生があって、
いまの私の人生があるのだと自然に感じさせられて、
故人を見送る儀式には、こういう意味もあるのだなと感じました。

以前、広告制作会社に勤務していたときの
中途入社同期の女性が、若くして病気で亡くなったときに、
告別式で、その同期のお父さんが、
「ありがとうと言って娘を見送ってやってください」と
参列した私たちに話されました。
それで出棺のとき、実際に「ありがとう」と口に出して言ってみると、
自分にとって、とてもしっくりくる感じがありました。
机を並べて多くのコピーを出し合った日々に感謝だなあと。

そのときから私は、そういったお別れの場に行くときは、
ありがとうを言いに行くことと考えてきました。
直接お会いしたことのなかった、友人のお父さんやお母さんでも、
この方がおられなければ、友人とも会えなかったわけだと思うと、
しっくりくるものがありました。

今回、自分が「喪主」になってみても、
この故人へのありがとうな送り姿勢がしっくりくるかどうかを、
自分のなかで確かめてみたのですが、
大丈夫でした。しっくりきました。
そのドでかいバージョンでした。

あれ、昨日は「生きてる」話だったのに、
今日は生きてないほうの話になりました。
しかも、何も新しくないですね。
ご勘弁ください。

新しい感謝?(ありがとおくり)
終わり

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