旅・その3「幸せの尺度」
イランカラプテ!
アイヌ語で「こんにちは」。
僕はいま、北海道白老でアイヌ文化を復興・発展し世界に発信する仕事のお手伝いをしている。
民族共生象徴空間「ウポポイ」。
ウポポイとはアイヌ語で「みんなで一緒に歌う」と言う意味だ。
今週7月12日に開業したばかりのナショナルセンターで、アイヌ民族博物館と、ホールや体験ブースが点在する広大な森と湖でできている。https://ainu-upopoy.jp/
ここで催すプロジェクションマッピングやイマーシブシアターなど様々なコンテンツの企画・制作から、パンフレットやグッズやユニフォームなど各アイテムのデザイン、広告制作、果ては公園の植栽のグランドデザインや内装デザイン、音響照明設備の配置計画まで「総合プロデュース」する仕事をしている。
「アイヌ」はアイヌ語で「人間」を意味する。
アイヌはすべてのものに魂が宿るとし、それを「カムイ」(神)と呼んで敬ってきた。カムイの世界では人間の形をしているカムイは、アイヌの世界に降りてくると熊や鹿、魚や炎などに姿を変え人間に恵みをもたらす。森で獲物を射止めたら、カムイがやって来てくれたことに感謝し、歌や踊りでカムイの魂をもてなして天上の世界に送り返す。するとカムイは「アイヌの世界は楽しかったなあ!」と喜び、再びアイヌに恵みをもたらすために降りて来てくれる。
なんてサスティナブルな発想!必要なぶんだけ天からの恵みをいただき、感謝しながら生きていく。ウポポイで働くアイヌの方々が、誰しもみな穏やかな喋り方と優しい笑顔をしているのは、きっとそういう生き方が表情にあらわれているからだと思う。
アイヌには文字がない。
イオマンテ(熊送りの儀式)、コタンコロカムイ(シマフクロウ)など、片仮名でアイヌ語を表記するが、それは似た発音を簡易的に片仮名で表記しているにすぎない。
彼らが話しているのを聞いているだけでカムイの世界に迷い込んだか?と錯覚するくらい美しく神秘的な響きを持つ言語である。
彼らは、口頭でコミュニケーションし、伝統を次の世代に受け継いできた。
文字をつくる必要がなかったとも言える。
大きな国家をまとめ、税の記録や法で国民を統制するために文字は必要だが、アイヌには巨大国家を作るという発想がなかった。家族が寄り集まってできたコタン(村)が生活ユニットになり、他のコタンや民族と交流しながら自然と共生しているだけで「幸せ」だったからだ。
1億総ハッピネスを叫ぶのではなく、家族をハッピネスの単位と考え何よりも大切にして、必要な時だけ外部と交易するという生き方は、このコロナ禍で家から外に出られなくなった都会生活者の僕にとって「幸せ」の尺度について考えるいい「教え」になった。
産業革命以降、都市に集まることで発展してきた僕らに対し、「幸せのユニット」ごとに適度に分散リモートし社会を成立させてきたアイヌの生き方は、これからの生活様式の大いなるヒントになると思う。
こんな僕でも、以前はアイヌ文化についてほとんど無知だった。
アイヌ紋様の力強く美しい曲線が、時に鋭く尖り、時にふくよかに膨らみながら、うねうねと続くその生命力溢れるデザインに興味を持ったのが始まりだった。
そこからアイヌ文化への僕の「旅」は始まった。
カムイの魂を送り返す儀式では、語り部が面白いユカラ(昔話)をするのだが、いよいよクライマックスという一番面白い所の手前でわざと話を打ち切る。するとカムイは話の続きをどうしても聞きたくなって、またアイヌの世界に恵みとともにやって来てくれる。
魔物は襟や袖から入ってくるから、着物の襟、袖には鋭く尖った紋様があしらわれている。
アイヌは武器を持たない。狩猟用の弓があるだけだ。北海道の豊かな自然の恵みがあったから、他人と争い奪うということを知らなかった(のちに彼らに刀を渡したのは和人だ)。
アイヌの音楽や舞は、同じフレーズの繰り返しに即興の合いの手や振り付けが入り、どんどん変化しながら徐々に盛り上がっていく。そして、それは燃えさかる炎のまわりで朝まで続くのだ。単調なリズムと伸びやかな歌声で、聞いている僕でもトランス状態になりかかる。
ああ、カムイが、そこにいる、と。
まだ知らない文化への旅は、つねに「発見」に満ちている。
東京での生活で傾きかかった自分の価値観をフラットに戻すことができる。
白老に「行く」というより、白老に「戻ってきた」と最近感じるようになったのは、ここで自分が「オリジン」に帰ることができるからだと思う。
かつての日本政府の同化政策で、危うく地球上から素晴らしいアイヌ文化が消えかかった。その文化をなんとか今日まで「つないで」こられたアイヌの人々の努力は、僕らの想像を絶する。
心無い差別もたくさんあっただろう。
伝承者がいない伝統舞踏を数少ない言い伝えをもとに「復元」するには途方もない研究と忍耐力が必要だっただろう。
だからだろうか。湖畔で舞うアイヌの若者たちは皆、何かを超越したような穏やかで清々しい目をしている。まるで、私たちは差別とかいがみ合いみたいな人間のくだらない行為なんて超えたその向こう側に、もうとっくにいますよ、というように。
小川には水芭蕉が咲き、湖を涼しげな風が渡ってくる。
伸びやかなアイヌの歌声とトンコリの音色が新緑あふれる森に響き渡る。
ウポポイはこれからが一年で一番気持ちいい季節だ。
白老への旅は、
海外旅行に比べたら物理的な移動距離は短いが、
価値観の移動距離は驚くほど大きい、と思う。
みなさんをお待ちしています。
イヤィラィケレ!
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