リレーコラムについて

永遠に越えられない、言葉の限界。

福永琢磨

ものごとを頭の中で深く考えていくと、

面白い場所に辿り着くものです。

 

コピーライターは言葉を操ることを生業にしています。

まぁ、実際のところは考えたり、発想することが仕事の本質で、

それを言葉というアウトプットに落とし込んでいるわけですが。

 

そうすると、言葉というものがいったいなんなのかを

深く考えることになります。

 

言葉というのは、絶対的なようで、実は相対的です。

 

「甘い」という言葉で、どれくらい甘いと想像するかは、

各人の主観に任されていて、

それを他者が経験することは永遠にできません。

人は、他の人の感覚を体験することは永遠にできないのです。

 

もし他人の脳の中に入り込んで、

その感覚を体験できる装置が生まれたとしても、

それを感じるのはあくまでも自分なのですから。

 

鈍感な人も敏感な人もいて、感覚はそれぞれです。

 

赤はどれくらい赤いのか。

寒いはどれくらい寒いのか。

美味しいはどれくらい美味しいのか。

優しいはどれくらい優しいのか。

怖いはどれくらい怖いのか。

 

それらは、言葉で伝えることはできたとしても、

投げかけられた言葉は受け手の主観によって

その人のサイズや形に変換されて理解されていくので、

「真意」は永遠に伝わらないのです。

 

そもそも真意というものが本当に存在するのかを確かめる術さえ、

私たちは持ち合わせていません。

 

データの数字だって、読み取る人の主観で解釈されるわけですし、

音楽のようなものだって、感じ方は様々であり、

さらにその気持ちを他者に伝えるには言葉を使用することになる。

 

そうすると、私たちには、絶対的なことはなにひとつ存在しない

という事実にいきつくことになります。

 

その事実をどう捉えるのか。

 

私は、ものすごく面白いことのように思えます。

 

みんな「伝えた気になっている」、

「伝わった気になっている」だけなのですから。

 

人間はそんな生き物ですから、誤解があって当然です。

というか実はすべてが誤解なのだとさえ言えるのかも知れません。

気持ちいい誤解と、気持ち良くない誤解があるだけで、

気持ちいい誤解を、理解と呼んでいるだけなのかも知れません。

 

こんなことを日々考えています。

 

人間ってなんなのだろう。

言葉ってなんなのだろう。

コミュニケーションって、なんなのだろう。

 

深く考えれば考えるほど、その神秘性と滑稽さを同時に感じつつ、

そこに人間らしい尊さを感じたりもするのです。

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