リレーコラムについて

父の背中3

鈴木智也

父が突然、

「札幌に、単身赴任をすることになった」

と切り出したのは、ボクが高校2年生の頃だ。

 

「地方への転勤ってのは出世コース。戻ってきたら昇進だ」

自分に言い聞かせるように、父はそう言った。

 

「それ、転勤者を慰める方便じゃない?」

喉まで出かかったが、口には出さなかった。

 

突然の辞令に、家族はずいぶんと戸惑ったが、

意気揚々と荷物をつめて、父は札幌へと飛び立って行った。

なにせ昇進がかかっているのだ。

事実、与えられた新しいポストも、満足のいくものらしかった。

 

しかしその2年後、事件は起きた。

 

父は札幌で大きなペナルティーを犯し、

左遷を食らうことになった。

 

札幌から再び静岡に戻された父は、

小さな部署で飼い殺されたような状態になってしまった。

毎日浮かない顔をしていた。

昇進の話もきっと白紙になったのだろう。

プライドの高い父の沽券にかかわるからと、

札幌の話題は、鈴木家の中でタブー視され、

いつの間にか、無かったことのようになっていた。

 

大学に入ったボクは、父と酒を飲む事が増えた。

父は魚が大好きで、その日も刺身を肴にふたりで飲んでいた。

自然と、札幌の一件が脳裏をかすめた。

 

酔いに任せて、あの時の左遷の真相を聞いてみる。

掘り返してはいけない話題だということはわかっていた。

 

「ぶっちゃけ、あのとき、何があったの?」

「…大人の世界は色々あんだよ」

「具体的には?」

「おまえも社会に出たら、わかる」

「教えてよ」

「…」

 

蒸し返すなという顔で返答を濁していた父だが、

酔いがまわるにつれて、真相をこぼしはじめた。

 

「実はな…、一番上のボスに歯向かった」

 

安堵した。痴漢ではなかった。

 

「若い社員をぜんぜん大事にしない、ひどいヤツでな…。

若手を守りたくて、アンタのやり方は間違ってるって、

やり込めた。そしたら…このザマだ」

 

せせら笑いながら、残ったビールを一気に煽って、父は続けた。

 

「でも俺は、間違えをおこした覚えは無えよ。

とはいえ現実は甘かねえな。…もう思い出したくもねえ」

 

札幌は父にとって、苦い記憶の場所になっていた。

父の酔いが徐々にさめていくのがわかって、

もうこの話はしないでおこうと決めた。

何かの扉が閉まる音が聞こえた。

 

しかしそれから数年後、

忘れもしない出来事があった。

 

静岡で、付き合っていた彼女との挙式があった。その前夜のことだ。

ボクの父と、彼女の父と、

4人で近所のスナックに行くことになった。

前夜祭のようなものだった。

 

場末いうよりも、もはや場外と呼べるくらいの場所に

そのスナックはあって、島料理を売りにする沖縄スナックだった。

ママはどことなく、夏川りみ的なメイクを施している。

店内には三線のメロディーが流れ、沖縄の風が吹いていた。

 

結婚式の数時間前だというのに、泡盛で乾杯が始まる。

たぶん朝まで続くだろうと思われた。

彼女は、顔が腫れたらどうしようと、青い顔をしていた。

その時だった。

 

「一曲、歌おうかな」

 

歌うことが大の苦手な父が、

不慣れなデンモクを必死に操作している。

あろうことか、自らカラオケをリクエストしたのだ。

 

ミラーボールがまわりはじめ、イントロが流れた。

ママの手が止まる。

三線の旋律でないことは明らかだった。

聞こえてきたのは、松山千春の『大空と大地の中で』だった。

 

「…え?」

店にいた全員がそう思っただろう。

壁に貼られたポスターのBIGINたちも、目を丸くしていた。

最北端。逆に新鮮だった。

 

マイクを握った父は、赤面しながら

「札幌のことは、第二の故郷だと思ってましてね」

歌が始まる前に、そう調子をつけた。

 

マイクがキーーーン!と音を立てた。

頑張れ、と背中を押してくれているようだった。

 

緊張の面持ちで、父が歌いだす。

 

♪果てしない 大空と広い大地のその中で

♪いつの日か 幸せを自分の腕でつかむよう

 

父の歌声を初めて聴く。

お世辞にも上手いとは言えなかった。むしろ下手だ。

でも下手だからからこそ、素朴で、感情的で、

人を惹きつける力を持っていた。

 

空気を察したママやチーママたちや常連たちが

「よ!」と合いの手を入れて、その場を繕ってくれた。

沖縄の温かさとおおらかさが、じんときた。

 

♪生きる事が つらいとか

♪苦しいだとか いう前に

 

父は札幌のことが、大好きだったのだ。

自分の正義を貫いて、夢破れた場所が、大好きだったのだ。

 

♪野に育つ花ならば 力の限り 生きてやれ

 

拍手が聞こえた。彼女の父も指笛を鳴らしてくれた。

 

ビジネスと割り切って、自分の正義に目を瞑るのか。

マイナスの評価を受けてでも、正しいことを追い求めるのか。

サラリーマンという立場に立つと、時々正解がわからなくなる。

 

ただ父は、サラリーマンではなく、

ひとりの人間として、立ち振る舞うことを選んだ。

その結果、出世街道から外れてしまっただけだ。

 

松山千春を歌う父の背中から、恥じらいは消えていて

ミラーボールの眩い光で、キラキラして見えた。

 

その日の背中には

人としての正義を貫けよ、と書いてあったのだ。

 

(つづく)

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