物置部屋から愛をこめて
また、昔の話をします。
TCCの事務局がいまの表参道に移って「クラブハウス」と呼ばれるようになった頃の話。
「表参道のクラブハウス」といえば梅本(洋一)さんだ。
移転の起案から物件探し、引っ越しの仕切りまで全部真ん中は梅本さんだったと思うのだが、梅本さんはそういうことを言わない(言わなかった)人ですね。過去形にしたら涙が出てきた。
閑話休題。
赤坂から表参道への引っ越しはてんやわんやで、あの日は確か日曜で、幹事会の有志が集まって、
なにしろワンルームから四つも部屋があるところへの引っ越しだから、どこになにを入れればいいのか誰にもはっきりわからなくって、とにかく賑やかで楽しかった。
作業を効率的にするために、まずそれぞれの部屋に手前から「幹事会の部屋」「ホールオブフェイム」「奥の部屋」「事務局」と名前を付けて、
それがまぁそのまま今の呼び名になっているのだと思う。(ホールオブフェイムは初めからホールオブフェイムとして使われることが決まっていた)
で、いちばん広い幹事会の部屋は近いうちに幹事会を開くから荷物を置くのは避けようよということになり、そうするとすぐには使う予定のないホールオブフェイムにどんどんダンボールが積み上がっていくわけです。
「この本どうします?向(秀男)さんの署名入ってますけど…」
「ひとまずホールオブフェイムに入れておこう」
「わぁこれ幹事会旅行の写真だー。どうします?」
「ホールオブフェイムに置いといて」
「これ、70年代の会費未納者のファイルなんですけど…」
「うーん、ホールオブフェイム、かなぁ…」
物置かよ。コピーの殿堂。
まぁ、のちに今みたいなきちんとした殿堂になったからいいんですけどね。
でも、ホールオブフェイムの発案者だった清水(啓一郎)さんがあの様子を見てたらすげー怒っただろうなぁと思うとちょっと楽しい。
とにかくみんなおもしろがって、どんどんホールオブフェイムに荷物を放り込んでいって、なんだかテンションが上がっている様子を見ながら梅本さんは、
「あそこはホールオブフェイムなんだけど。すぐになんとかしなきゃなぁ」とかなんとか言いながら、
「まいったなぁ」
って言ってるのになんだかうれしそうに見えるあの顔をしながらキッチンの換気扇の下でタバコを喫っていて、
ぼくが思い出す梅本さんはいつでも、
あの年齢のままの、あの表情で、あの立ち姿をしている。
引っ越ししてからしばらくたってからのこと。ホールオブフェイムの扉に表札的な文字を付けようと思うのだけれど上手くいかないから手伝って、みたいなことでぼくが呼ばれたときだと思う。
作業の前に、青山通り沿いの地下にあるとんかつ屋さんで、梅本さんと佐藤(志保)さんと、その頃事務局に勤めていたアベちゃん(かトミタさん)という女の子と一緒に昼ごはんを食べに行ってミックスフライかなにかを食べながら梅本さんが
「いやぁハットリ、今日は忙しいのにありがとう。見たら驚くと思うけどさ、二人が活躍してくれて”物置”もずいぶん片付いたんだよー」と言ったのだった。
梅本さんも自分で気づいて「いや、ほら、あそこ、みんなが物置扱いしてたホールオブフェイム…」と言ったのだけれどごまかしきれなくて、ああいうときの佐藤さんってものすごくチャーミングで意地悪な顔をしますよね。
実際にホールオブフェイムはびっくりするほど片付いていて、それからいまの「風の本棚」ができて、もちろん、事務局のみんなが活躍してくれたのは間違いないのだけれど、
それでもぼくはいまのクラブハウスは梅本さんがいまあるようにしてくれたのだと考えているのだが、それを言っても梅本さんは、
「や、ぼくはいいから◯◯さんを見てよ」
とかそんなことを言いそうな気がするのだけれど、もう答えが聞けることはない。
うん。まぁでも、それってたぶん梅本さんだけじゃなくって、あの頃表参道のクラブハウスで一緒に幹事の仕事をしてた人たちは、
名雪(祐平)さんも、大石(真規子)さんも、鵜澤(敏行)さんも、(越澤)太郎くんも、みんなそんなこと言ってたような、そんな人たちがいましたね。
「自分はいいから、あの人を見てよ」
表参道のクラブハウスに行ってもそういう人に会える機会が少なくなったような気がします。
まぁ、ぼくがただ顔を出していないだけってこともあるのでしょうし、
そもそも「ハットリ、お前が言うな」って話でもありますが。
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