リレーコラムについて

背中

早坂尚樹

ある日、配属が言い渡され、

運良くコピーライターという名刺をもらった。

 

本当に右も左もわからないところからスタートしたので、

先輩方には、感謝しかない。

 

中でも幸運だったのが、

メンターに恵まれたことだ。

 

しかも、僕には二人のメンターがいる。

 

一人目のメンターが、秋田勇人さん。

 

ほどよい距離感で見守りながら、

いざとなる時は優しく助けてくれる、

とても頼りになるお兄さんだった。

 

論理的に、そして構造的に企画をとらえるということを、

そばで見させていただけたのは本当にありがたい経験で、

面白いは考えてつくるものなんだと学んだ。

そして、打ち合わせで案を出すたび、

こんなにも差があるのかと毎回絶望させられた。

 

自分の年次があがった今なら分かるが、

右も左もわからない素人がついているのは、

それだけで日々大変だったと思う。

 

サッカーの試合でいきなりハンドをして、

「え、サッカーって、ハンドだめなんですか?」

というやつがいるような状態だ。

 

秋田さんでなければ、

途中で見捨てられていたに違いない。

 

基礎の基礎から、いろいろなことを教わったが、

中でも、大きな転機だったのは、

「まずラジオCMに振り切ってみたら」という

アドバイスをもらったことだったと思う。

 

入社した当時、

これからはデジタルや、コミュニケーションデザインの時代だ!という感じで、

新人はなんでも挑戦しろ!状態だったので、

この教えが道標になった。

 

時代の逆をいってしまった感もあるが、まずは、ひとつのことにふりきることで、

結果、新人賞もラジオで受賞することができ、本当によかった。

 

ラジオで学んだ尺感や、タグラインを磨く考え方が、

今でも企画をする際の礎になっている。

 

そして、二人目のメンターが、佐藤舞葉さんだ。

 

三太郎チームでとても忙しかったはずなのに、

舞葉さんも、いつも親身になって、僕の悩みや相談を聞いてくれた。

 

今思えば、先輩の貴重な時間を奪うな!と

過去の自分を叱責してやりたいところだが、

ついつい、その優しさに甘えて長話をよくしてしまっていた。

 

それだけでも、ありがたいのに、

定期的に二人の勉強会までひらいてくれた。

なんて贅沢なことだろう。

 

そこでは、

名作CMをコンテに戻してみるという、

実験的学びをしていたのだが、

これがまた無茶苦茶タメになった。

 

絵が下手なこともあり、

コンテへ苦手意識があったのだが、

どういう意図で、

一つ一つのカットがあるのかということを、

改めて学ぶことができたからだ。

 

企画コンテにあったカットなのか、

演出で加えられたカットなのか、

普段のCMの見方まで、明らかに変わった。

 

他にも、おすすめの漫才からセリフや間の取り方を学ぶなど、

長いセリフを書くことや会話モノを企画することへの

恐怖がなくなっていったのも、

この個人塾の教えがあったからだと思う。

 

普通に仕事をしているだけでは

絶対に学べなかったはずだ。

 

楽しく話しているうちに、

これまで意識していなかった大切なことが紐解かれていったような

とてもとても有意義な時間だった。

 

もし自分が先輩だったら、こんなにも親身に教えてあげられるだろうかと

同時に自分の小ささも実感した。

 

 

もちろん、ここには書けないぐらい、

他にも、たくさんの先輩方に教えていただいた。

 

そんなたくさんの素敵な先輩の背中を見ながら歩んでいけるのが、

会社員のいいところだ。

 

まだまだ書かくべき恩師の方もいるのだが、

「もっと一人前になってからにしてくれよ笑」と言われそうなので、

自分が成長して、何かを成し遂げることができた時に、

またその話をできたらと思う。

 

きっと一番の恩返しは、僕が活躍することであり、

そして、次へとつないでいくところだから。

 

なので、いつか僕に弟子がついたら、

先輩たちに教えていただいた、

そのバトンをつないでいけたらと思う。

 

 

そして、嫉妬深い僕ですが、

その後輩の活躍を喜ばしく見守れるような人になりたい。

映画「愛と青春の旅立ち」の卒業シーンのように。

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