リレーコラムについて

運動部不信仰

宮坂和里

「全然運動しなさそうだよね」と、ここ数年で言われることが増えた。
なんでも、アクティブとはかけ離れた印象らしい。
そうだろうなと思う。
休日何をしているのか聞かれるとだいたい「家にいます」と答えるし(これは一昨年から配属された関西が縁もゆかりもない土地すぎて友達が少ないからなのだが)、最近の趣味もだいたいインドア。
さらには太陽光が嫌いすぎていつでもどこでも傘をさしている。
このあたりが、「運動嫌い」を思わせる主な要因だろう。
しかしその印象とは裏腹に、実は運動にまみれた人生を送ってきている。
家庭で運動を推奨されていたからだ。
父は野球、母はバレーボール。
ふたりともゴリゴリの運動部出身。
母にいたってはそのほかに、スキー、スノボやダイビング、ゴルフにマラソン、空手など、ちょこちょこかじる趣味が全て運動系のものだった。
体を動かすことは正義で、運動は生活の必須項目。
直接言われたわけではないが、そういう空気がわが家にはあった。
おかげでわたしも0歳のベビースイミングからはじまって小学4年生まで水泳を10年、5年生から中学3年生までバレーボールを5年、高校3年間はバドミントン、大学の4年間はダンスをやった。
そしてその合間にスキーやバレエ、体操やテニス、シンクロナイズドスイミングなんていう当時はニッチだったスポーツまで、興味本位で習わせてもらったことがある。
楽しいものの方が多かったし、運動自体は嫌いではない。
色々経験させてもらえたことに感謝もしている。
しかし、わたしは所謂「ザ・体育会系」のような運動部を信仰していない。
その原因は、5年間のバレーボール経験にある。

 

わたしの見てきた時代、見てきた範囲の中での話になるが、田舎のバレー部は指導の体質が古いところが多かった。
根性論と謎ルール、ときどき体罰。
地域の小学生を集めたスポーツチームでもそれは同じで、今なら絶対に色々アウトな指導がよく見受けられた。
幸いわたしが所属していたチームは比較的穏やかな監督で、怒鳴られることはあっても直接暴力を振るわれたことはなかったのだが、練習試合などで見る他のチームは違っていた。
普通に頭をはたかれるし、頬をはられる。
一番衝撃的だったのは、少しぽっちゃりとした子の頬を思いっきりビンタして「このデブーー!!」と叫んでいた、太った監督である。
えぇぇ…………。
ドン引きだ。
アウトもアウト、大アウトである。
他チームながら、集めた部費でまずは姿見を買って欲しいと思った。(そういう問題でもないけれど)

 

戦い方も、今思えば狂っていた。
とにかく相手チームを煽れ、精神的に圧をかけろと教えられるのだ。
例えば、こちらの打ったサーブが相手チームのひとりの顔に当たり、そのままボールが落ちてこちらに1点入ったとする。
顔に当たってしまった子が、痛いしミスを怒られるしで泣きだしたとする。
この場合の、サーブ前の声出し(サーブを打つ前に「いけー」や「決めろー」のような掛け声をすること)の正解を、あなたは想像できるだろうか。

「オイ相手泣いてんぞォ!」
「もう1本同じとこ狙ってけェー!」

こうである。
あまりにも品がない。
試合前に則ると誓っていたスポーツマンシップはどこいった。
テニスやゴルフが紳士のスポーツならば、これは輩のスポーツじゃないか。

 

中学のバレー部では、入部してすぐ髪をベリーショートにすることを強要された。
耳にかかる長さで練習に出ると、「明日までに切ってこい」とどやされる。
どこのバレー部でもよく聞くあるあるな話なのだが、従わなければよかったと心底思う。
なぜ耳が出るショートにしないといけないのかを、納得できるまで顧問の先生に説明してもらえばよかった。
この意味のわからんルールをどのように解説してくれたのか、気になって気になって仕方がない。

 

ここでも幸い直接の暴力を受けたことはなかったが(隣の男子バレー部では部員が耳を引っ張られて引き摺り回されている光景をよく見たけれど)、至近距離から顔面に思い切りボールをぶつけられることは日常茶飯事だった。
ボールを介せば体罰ではないことになっていた。(それを逆手に取って、部員たちはよく練習中偶然を装って顧問の顔面にボールを当てようとしていた)

 

練習試合をしに他校へ行った時、その中学校の顧問が試合中にマイクを使って自分が座っている舞台上へ部員を呼び出したので何かと思い目で追えば、自分の肩を揉ませはじめたこともある。
訳がわからない。その子の祖母なのか?

 

起こるとついパイプ椅子を投げてしまう顧問もわりとよく見た。
部員も校長も怒っていいと思う。

 

個人的に一番印象に残っているのは、とある遠征のあとのミーティングで、うちのチームの顧問がブチギレていた時の話だ。
「お前らなんのためにバレーやってんだよ!?」と、部員全体にまあまあの大声で問いかけられる。
誰も答えない。
わたしも答えられない。
答えが全然わからないからだ。
もうとっくに部活を嫌いになっていたその時の気持ちを正直に言えば、「部活を3年間継続するともらえる内申点のため」だったが、求められている答えとは絶対に違う。
決して言ってはならない。
じゃあなんだ?己の人生を充実させるため?いや人生の充実を語るようなテンションじゃないしな…。
そんな思考を巡らせていると、「なんのためだよ!?言ってみろ」と当時部長だった先輩が当てられた。
「…勝つためです」と、探るように答える先輩。
「そうなの!?」と心の中で驚くわたし。
少し間をおいて、「お前は?」「お前は?」と他の部員を順番に当てていく顧問。
「勝つためです」「勝つためです」と、部長に倣った答えを真剣な顔で口にする部員たち。
「そうだろ!?勝つためにやってんだろ!?」と叫ぶ顧問。
熱くなるその場の空気。
そうだったのか〜最初に当てられなくてよかった〜と密かに安堵するわたし。
これを今思い返すと、「勝つためにバレーをやる」という文脈おかしくない?と思う。
「勝つために練習する」ならわかる。
でも「勝つためにバレーをやる」になると、「他者に勝つ」という目的が先にあって、その手段としてバレーを選んでいることになる。
他者を負かすためのツールとしてバレーボールというスポーツを使っている集団、怖くないか?
でも先輩は答えられてたしなあ。わたしがおかしいのかなあ。
とにかく、最初に当てられなくて本当によかったと思う。

 

そんなこんなで理不尽と不可解の多かったバレーボール生活なのだが、十年以上経ってみて、「あの理不尽や不可解がここで役に立ったなあ」と思ったことが未だない。
たしかに体力はついたが、理性的な指導でも同じだけの体力はついた気がするし、精神的になんらかの効果があったかどうかはよくわからない。
根性があるねと言われることは度々あるが、それがあの日々の賜物なのか生まれつきの気質なのかは判断がつかないし、おそらく後者な気がしている。
結果、今のわたしは運動部を信仰していない。
しかし、別に後悔をしているわけではない。
昭和の最後の絞りカスのような、異常で貴重な体験をさせてもらったと思っている。
そして、すべての体験を活かせる可能性があるのがこの仕事だ。
いつかあの経験をしておいてよかったと思える仕事ができればいいなと思う。
(と、最後だけきれいごとを言ってみる)

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