過去と未来の魚
これは、わたしが小学生のときに、
図工の授業でつくった、魚の絵の作品につけたタイトルだ。
「過去と未来の魚」は、何らかの賞に選ばれてしまい、しばらくいろんな展覧会を彷徨っていた。
この作品が運よく選ばれてしまったおかげで、わたしは、美術大学の附属に入ることになった。
そこから10年間、わたしはデザインや絵画の授業に時間を費やした。
ありがたいことである。
小さなころから、好きなことをやらせてくれた両親には本当に感謝してもしきれない。
しかし、私は薄々気づいていた。
自分があまりにも、不器用な美大生であることに…。
だって、
マスキングテープを貼っていても、
私が塗った絵の具は、いつもはみ出していたし、
(マスキングテープを貼った状態で絵の具を塗ってテープを剥がすと、キレイな直線で絵の具が塗れているという仕組み)
水貼りをすると、
私のパネルは、いつも空気が入ってベコベコになった。
(木のパネルに水で濡らした紙を貼ると、乾くときに縮んでシワひとつない綺麗な紙が出来上がるという仕組み)
あげくのはてに、
修学旅行先の京都で作った和菓子は、
私のだけ、みんなとちがうポケモンのモンジャラみたいな、不恰好なカタチをしていた。
(※気になる方は、「モンジャラ」で画像検索をしてみてください。)
そんなことを繰り返すうちに、
私は嫌でも、自分がデザインの道に進むには、
あまりに不器用すぎるということに気づいてしまった。
しかし、既に10年も時間を費やしてしまっていたので、もうかんたんに戻ることなんてできなかった。
美大の学費はわけがわからないほど高いのだ。
さらに一番大きな問題は、わたしが心底美術が好きだったことだ。なんて、厄介。
そうこうしているうちに、
不器用な美大生は、そのまま不器用なデザイナーになってしまった。
幸いこの世には、パソコンというものが誕生していたので、
私はデザイナーに擬態してなんとか過ごすことができていた。
しかし、そんなある日、私とデザインの仲を引き裂く事件が起こった。
なんてことない、ただの会社の人事異動だ。
だけど、これまで死ぬほど執着していたデザイナーという職業とは、強制的にお別れすることができた。
そのおかげで、私はコピーライターとして、ゼロから勉強し直すことになった。
コピーをかくことの面白さを知り、何より、仲畑先生に出会うことができた。
コピーだけじゃない、ものごとの考え方や人間として大切なことをいくつも教わった。
※長くなってしまうので、このお話はまたの機会にじっくりと時間をかけてお話させてください。
あの日、小学生のわたしが名付けた「過去と未来の魚」も、
もしかしたら、絵の出来ではなく、ませたタイトルのおかげで入賞できたのかもしれない。
もちろん、このあと「過去と未来の魚」のコピーライターは、
そもそもコピーというものは、ただかっこつければいいもんじゃない。
ということも、嫌と言うほど思い知ることになるし、
頭で理解してからも、それが直せるようになるまで、死ぬほど苦労するのですが…。
なにはともあれ、めでたしめでたし。
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