リレーコラムについて

間に吸い込まれています

丸原孝紀

忘れられない、ひと夏の体験。

ある夏の日、親戚と三重県の美杉町を流れる川で遊んでいました。いちばん盛り上がったのは、岩に登って木からぶら下がった蔦をつかんで川に飛び込むというスリリングな遊び。繰り返し繰り返し、ハイになって川に飛び込んでいました。

そこへ、ひとりの少年がふらりと。
「すみません、いっしょに遊んでいいですか」

えらい腰の低い子だな、この辺りでは珍しく標準語なんだな、けっこうデンジャラスだけど大丈夫かな、と一瞬はためらいましたが、そこはハイになっている私たち。「おお、いっしょにやろう!」と仲間に入れたのでした。

少年を交えてまた川に飛び込みまくっていると、やがてお昼ごはんのタイミングに。「オレらそろそろ行くわ」と、私たちは岩場を離れました。少年は「ありがとうございました」と微笑み、私たちが去った後も、ひとりで岩に登って蔦をつかんで川に飛び込む遊びを繰り返していました。

川には他にも何人か遊びにきてはいました。でも、ひとりで来ている人はいません。ましてや、少年なんて。川を離れても、私たちの頭からはあの少年のことが離れません。サイゼリヤでの食事中も、少年の話で持ちきりです。
「不思議な子やったなあ」
「あれはカッパとちゃうか」
頭には皿もなく、手足には水かきもなかったのですが、いちどそう思ったら、もうカッパとしか思えなくなりました。

それからと言うもの、私の頭の中にはカッパの少年が住み着いてしまっています。かっぱ寿司の看板を見たらハッとさせられますし、日本のあちこちにいるカッパのキャラクターを見ると立ち止まってしまいます。疲れたときについ「カッパだなぁ…」とつぶやくこともあります。尻子玉を取られたのでしょうか。

先日、自然をテーマに人と語らう場がありました。人と自然のあるべき関係について話をしているときに、話し相手の方が「私は自然にも関心があるのだけれども、妖怪のことも気になっている」と、遠い目で語り出したのです。

昔の日本には里山がたくさんあり、野生動物と人間の棲み分けができていたといいます。森や野山をすみかにする妖怪たちは、原生林などに人が近寄らないようにする戒めが生み出した幻影なのではないかと、その人は言うのです。なるほど、人と自然の間にいて、社会の調和をとり持つ。妖怪というのは、そういう存在なのかもしれません。

私は、この人になら話せる、と、カッパと出会った話をしました。そして、妖怪などは人間が生み出した幻影ではなく、自然が生み出した幻影かもしれないと力説。いま思えば若干、引かれていた感じもしますが、妖怪の話をした人は真剣に聞いてくれて、「自然を疎かにする現代人は、妖怪からのメッセージに耳を傾けるべきなのかもしれませんね」と、真剣に語ってくれたのでした。

そこからは、人と何かの間のような存在が気になって仕方がなくなってきました。山に登っていると、木の上には天狗が、暗がりにはぬりかべが潜んでいるのではと緊張します。家にいると、相棒のように振る舞う猫たちを見ては、お主ら、どんどん「間の存在」になりつつあるな、なんて感心されられます。

思えば自分も、間の存在なのかもしれません。子どもの頃からどこか浮いていて、どこにいても自分の居場所ではないようで落ち着きがないまま、いまに至ります。ピロウズの歌「ストレンジカメレオン」には何度も泣かされました。

寂しそうに、ひとりで遊ぶカッパの少年。あのとき川で出会った少年は、私だった。

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