缶詰は向いてない
打ち合わせが好きだ。
コピーや企画を持ち寄って、あーでもない、こーでもないと言いながら、煮詰まると馬鹿なギャグの応酬で空気を揺さぶりあう。ヘトヘトになって何度目かの睡魔と闘い終えたころ、スッと静かに、シンプルな本質が見えてくる。あの瞬間が、ちょっとエクスタシー。
企画会議というものは、そういうものだと思い込んで、テレビ局でもやったらプロデューサーが困ってた。「先生、そういうのはちょっと・・」「いや、冗談なんですけど・・」。
脚本家というものは一般に、もっと言葉が重いものらしい。
最近では「あの人は軽い」というのがやっとわかってきたらしく、若いディレクターは一緒に馬鹿を言ってくれるようになった。
ありがたい。
大阪の局で朝のドラマの脚本をt書いた時、一年間ホテル暮らしをした。
局の人は「東京から通ってくれてもいいですよ」と言ってくれたが自分から望んだ。
「ホテルで缶詰」というのを一度やってみたかったのだ。
でもあれ、辛かった。書いていると一人ぼっちがシンシンとしみる。そして書いているセリフが独りよがりになってゆくような気がした。
「缶詰」は向いていない。広告育ちの僕には、家族や仲間と喋りあう、普通の生活の中で書いてゆくのが向いているらしい。
孤独な時間と、人と過ごす時間。その、何度もの往復の中でやっと、人にも自分にも寄り添いすぎない、よい言葉を書かせてもらえそうな気がする。
缶詰の言葉より、人と生む言葉。
でも「山の上ホテル」だったら、もう一度ぐらい・・。