リレーコラムについて

お!じゃましております

中島信也

 さて、眞木準さんの教えは「みんなに愛されるように頑張りなさい」でした。頑張ります!でもいったい何から手をつけたらええんでしょうか?まずは、少し冷静になって・・・そうや!多くのTCC会員を巻き込んだこの一連の「非会員コラム書込騒動」の真の原因を究明しなくては!修学旅行でも夜中に騒ぐと体育の先生から叱られます。ここTCCでもこのような騒ぎはコピーライティングにとって最大の迷惑や!まずは原因究明と二次災害の防止、これしかありませぬ!

まず、根本的な問題は「ナカジマシンヤがTCCの会員ではない」という点にありました。では、なんで会員ではないのか?それはTCC賞をいちども受賞したことがないからです。「本当ですか?」はい、まちがいありません。「では・・応募は何回くらいしましたか?」はい、実は・・・実は一度も応募したことがないんです。(にわかにざわめく法廷。静粛に!と裁判官)「何かTCC賞に応募したくない理由でもあるのですか?」
「そんなものは全然ないんですけど・・・」
「じゃあ、なんで?なんで応募しないのですか!あぁそーですかそーですか!応募料が惜しいんだぁ。応募料けちって会員になろうなんで虫が良すぎるんだよアンタ!」
「痛っ!痛いです!違います!違う・・・そうじゃなくて・・・僕コピーライターじゃないんです!」
怒涛の如きどよめきに包まれる法廷。飛び交う座布団のあいだをぬって江戸の華が黙々と弓取り式をすすめる。
ではなかじましんやってなに屋さんなの?

実は僕CMディレクターという仕事をしております。

20年前、この業界に僕が入ってきたころ、時まさにコピーライターブームの真っ只中でした。CMディレクターよりもあきらかにコピーライターのほうがエラかった。僕にとって神様であった川崎徹師も自分を、コピーライターと名乗っていたほどです。
僕も、なりたかった。CMディレクターとしての道を歩み始めたばかりで、演出や技術について勉強せなあかんことがやまほどあったにもかかわらず、やっぱり僕もコピーライターの仲間入りをしたかったんです。

そこで僕は糸井重里さんが週間文春誌上でひらいておられた萬流コピー塾にせっせと応募しました。掲載は一回。温泉のコピーでした。今でも覚えてるそのコピーは、
「湯うや!湯うやで!原田はんのゆうたとおりになったで!」
なんもわかってませんでした。
にもかかわらずいっしょに仕事をさせていただいた岩崎俊一師に、「あのー、僕、コピーライターになりたいんですけど」
「なればええやん。コピー書きいや。」
「コピー!やっぱり書かんとだめですよね」
「あほか!あたりまえやんか!」
なんもわかってませんでした。

そうこうしているうちに、ディレクターの仕事も必死のぱっちになってきて、コンニチに至る、って省略しすぎですけどそういうことなんです。 
その間、あまりに凄いコピーライターの方々に会うことができました。凄い人とお会いすると人間、おのれのあほに気付くもんでございます。天。天がきっと僕にそのことに気付かせようとしておられたのだと思います。今では地道に、自分に与えられた生き方を、地道に進んでゆくことこそが幸せなんやと、毎日の、ありがたい命を味あわさせていただいております。

「お坊さんみたいなことを言いますね」
はい、ご覧のとおり坊主ヘアでおじゃましております。中島信也でございます。

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