ice/1995
こんにちは。佐藤司郎といいます。
まず、お詫びと訂正を。
昨日のコラム、タイトルが変でした。
正しくは、50yen/1994でした。
yenを記号にしたので、それが原因かと。
それとも何かの暗示か?まあいいや。
では、3回目。
8年前。僕は28歳でした。
会社を辞めて時間が経ち、
もう広告業界に戻ることはできないだろうと
多少の不安を感じながらも
相変わらず、友人の家に寝泊まりし、
働いていませんでした。
週に2回のバンドの練習で青くさい思いを燃焼させていました。
バンドのメンバーへの借金が増え、
みんなが怒る度に、ジャック・ケルアックや
ポウル・ボウルズの話をし、
くだらない労働がどれほど創作意欲を奪うか
熱弁をふるっていました。
が、借金が5万円を超えると
みんな本気で怒りだしたので、
このままではバンド存続にかかわると判断した僕は
仕方なく新聞の折り込みチラシでみつけた倉庫で
働くことにしました。日給20000円、1か月で40万円。
さっそく面接に行き、無事、採用されました。
その倉庫の中は北極のようでした。
去年、一昨年と、仕事で
冬の北海道に行きましたが、
あの倉庫の方が寒かった。
気温は零下40度、其所はアイスクリームの倉庫だったのです。
僕とコンビを組んだ、ダンサー志望のNくんは
まじで、これ、やばいっすよ、土方より、きついっすと
嘆いていました。寒いから立ち止まってさぼることもできず、
エスキモーのような作業着に身を包んだ僕らは
ポケモンチョコを探して、ひたすら走り続けました。
日給、20000円は安いぜと思いました。
休憩時間に主任がニヤニヤしながら
やって来て言いました。
おたくら運がいいよ、ほらいま春だろう?
夏がやばいんだよ、温度差がすごいから
倒れる奴もいるよ。前に、くも膜やられちゃったのもいるしね。
わけのわからない日々でした。過酷な労働は
ライブでシャウトする気力を奪っていきました。
或る日、「コピーライターだったなら
この仕事のコピー考えてくださいよ」とNくんに言われました。
ゾクゾクするほど、高収入!と答えておきました。
零下40度の春の日。
僕は、ポケモンチョコを探していたのです。
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