リレーコラムについて

music is over?/1997

佐藤司郎

20代最後の年に、
某外資系IT企業のデザイン室に職を得た僕は
久し振りに真面目に働きました。
朝、起きて、電車に乗り、会社に行く。
で、毎月、お金をもらう。
横浜の郊外に家賃52000円のアパートを借りました。
単発的なアルバイトばかりで、
ずっと定収入がなかった僕は、
ものすごく金を持っている気になり、
毎晩のように飲み歩き、気がつくと30歳になっていました。

或る晩、バンドの核であるギターのKから電話がありました。
話があるというので、家の近くのファミレスで会うことにしました。
Kはちょっと淋しそうにバンドを脱けたいと呟きました。

Kと僕は20歳の時にバイト先で知り合い、
ずっとつるんでいました。
そもそもKがしつこく誘わなければ、
僕は会社を辞めて、またバンドをやろうなんて
思わなかったでしょう。
バンドの方向性をめぐり、何度も激しい口論をしました。
ずっといっしょにいたから、存在が鬱陶しい時もありました。
たぶん、お互いさまだったのでしょう。
Kとの別れに、僕は深く落ち込みました。
それは女性との関係が終わる時よりも、
もっと心の深い所に突き刺さり、
なんというか内臓に染みができた、そんな気がしたのです。

ごく最近、Kと6年振りに再会しました。
横浜市の試験を受けて資格を取り、児童相談所で働いている彼は、
昔と同じように淋し気に笑うのです。そしていまは
ライブハウスではなく、子供達の前で歌っているのです。
もう少し、やればよかったかな?SHIROはやりたかったんだろ?
彼はちょっと俯き、そう呟きます。
Kは知らないのです。Kが抜け、バンドは自然分解したことを。
あの時、すべてにやる気をなくした僕は、やたらと腹ばかり減り、
日に何度も飯をたべ、一時、10キロも肥ったことを。
Kは僕を見て、変わらねえよなあと繰り返します。
そうだろ?とだけ僕は答えます。
その晩、家に帰った僕は
久し振りに『真夜中のカウボーイ』を観たのでした。

以上、佐藤司郎でした。
次回は鶴田茂高さん。某IT企業も、
大広インテレクトも、紹介してくれたのは彼でした。
鶴田さんがいなかったら、おれはいま何をしてたのだろう?

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NO
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