7495mの彼方
【Chapter 3 7495mの彼方】
その男とは、41年のつきあいになります。
ちょっと勝新太郎の入った熊吾郎系の山男。
見た目では、同じDNAをまったく感じないとよく言われる「父」です。
1976年夏、僕が中学2年の時でした。
彼は、日本 山岳会パミール学術遠征隊の副隊長として、
中央アジア、パミールの 最高峰のコミュニズム峰(標高7495m)に
日本人としてははじめて登頂しました。(当時はまだソ連、現在のタジギスタン)
僕が幼い頃から、「山」というとフットワークよろしく、
海外遠征と称して平気で1〜2ヶ月くらいは家を空け、
どっかの国へ出かけていた男でしたし、
夏休みに海に連れていかれた記憶は皆無で、
小学生に20kg以上はあるリュックを背負わせて、崖っぷちを歩かせていましたし、
(この話を書いていたら、ビービー泣きながら登山していた記憶が甦ってきました。
目の前の大木に雷が落ちるのを見たことありますか?まじでチビリそうになりますよ)
正月は正月で、富士山で初日の出というのが恒例で、
年末年始の鶴田家はまさに母子家庭でした。
(ちなみに年の瀬の富士山は荒れることが多く、年明けに下山した親父から
「別のパーティのだけど、死体を担いで降りてきた」なんて話も幾度かは聞きました)
76年に話を戻しますが、
僕は親父がそんな山に登っているなんて全く知らず、
ダラダラと夏休みを満喫しているときでした。
ある日の朝、母が「ちょっと朝日新聞、買ってくるね」と出かけました。
実家は名古屋で普段購読しているのは中日新聞。
わざわざ朝日新聞を買いに行くなんて妙だなとは思いましたが、
母が持ち帰った新聞の社会面を開くと
確か半7段くらいのスペースに
「日本人コミュニズム峰、初登頂」の記事がでかでか載っていました。
(朝日新聞は遠征隊の後援企業だったと思います)
小見出しには、「息が切れる。でも快い。またちょっと高い所に来た…」みたいな
親父の書いた登山日誌が引用されていました。
「あっ、お父さん。すごいね。山行ってたんだ」
「話したじゃない」と呆れ顔の母。(ほんと、僕は「山」には興味ゼロでした)
しかし記事を何度も何度も読み返していくうちに
「けっこう高いね。次はエベレストかなぁ」なんて
息子ながらちょっと誇らしくてしかたなかったように覚えています。
ところで、何年か後になって聞いた話ですが、この登頂にはちょっとした秘話が。
いよいよ頂上をめざすといった時、
ベースキャンプ(たぶんそれでも7000mは越えた高所)では、
若い隊員の何人かが高山病で危険な状態にあったそうです。
で、隊長(たしか外科のお医者様)と副隊長の親父の意見がまっぷたつに。
隊長は「彼らを放っておけない断念しよう」と。
しかし親父は「まず俺は単純に登りたい。そのためにここまで来た。
奴ら(若い隊員)には今日まで体調管理にだけはくれぐれも注意しろと口を酸っぱくした。
奴らは若さにまかせて、それを怠った。
『勇気ある下山』なんて美談はありえない。
逆にあいつらのせいで下りたとすれば、あいつらはもっと辛い目に遇う。
俺はひとりでも登る」
当事38歳。遠征前3ヶ月は毎日朝夕10キロくらいのランニングを欠かさず行ない、
週に2回、大学の低圧室で高所環境に耐えるよう体を作ってきた男。
(信楽焼のタヌキのような腹もダビデのように鍛えてました)
約1ヶ月半の遠征のため、半年前から通常の倍の仕事をこなし、
経済的にも家族を路頭に迷わせないよう配慮した男。
そして何より山を愛し、山の仲間を愛していた男。
(思えば四六時中、山岳会の若い衆が我が家の食卓でメシを食べていた)
彼の決断は支持され、体調不良の数人をベースキャンプに残し、
「息が切れる。でも快い。またちょっと高い所に来た…」につながりました。
誰の人生にも、幾度か決断の時が来ると思います。
実際僕にだってすでに幾度かありましたが…。
そんなとき、親父のことを思い出します。
「自分が本当にしたいこと。」それが答だと。
76年夏、NHKでも「日本人コミュニズム峰、初登頂」に関する30分番組が製作され、
帰国した親父が出演しました。(共演は、遠征隊に参加した山岳写真家・白旗史郎さん)
まだ家庭にビデオのない時代でしたから、何を話していたのかよく覚えていませんが、
番組の最後に「次は?」のアナの問いかけに、
凍傷でぼろぼろになった顔で「少しでも高い所へ」とはにかんでいた、
素敵な笑顔だけは心に焼き付いています。
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