大阪
確か、六本木のスタジオ帰りだったと思う。
某大手建機メーカーの求人広告の撮影で、モデルはダンプ松本さん。
ヘッドラインは「働くダンプが好きだ」(いやぁ、ベタですなぁ)。
スムーズに撮影は進行し、夕方にはすべて終了。
よし、次回は「働くブルが好きだ」でいくぞ。もちろんモデルはブル中野選手!
銀座へ向かうタクシーの中で一人ほくそえんでいたのを思い出す。
会社に戻り、席に座ろうとしたとたん、デスクの電話が鳴った。
「…はい、じゃ今から行きます。」
電話口の相手はE部長、場所は2階の応接室。日付けは忘れもしない1996年の3月15日。
タイミングから言って、どこからどう見ても異動の話だ。
『ちっ、新宿かなぁ、池袋はやだなぁ…。』
エレベーターではなく階段を下りながら一人ごちる。
木製のドアをノックすると、見慣れた部長と次長。髭とバーコードのコンビ。
「実は異動なんだよ、シノ…。」
そりゃそうだよね、やっぱこの時期。さて何処よ、と身構えた瞬間、
「…で、行き先は大阪なんだけど。」
えっ?オオサカ?オオサカってあの大阪か?まったくもって意表をつかれた。頭が白くなった。
その後、何をどう話したのか、ほとんど記憶がない。
ただ、んなこと行きたかねえぞ!の思いを込めて乱暴にドアを閉めたのだけは覚えている。
1996年4月、僕は未開の地、大阪に赴任した。
家は阪急神戸線の武庫之荘。4畳半の聖蹟桜ヶ丘(前号の、例の物件は結局借りたのだ)、6畳ワンルームの祐天寺からすれば格段の広さ。40?で風呂トイレ別で、しかもベランダ以外に20畳のルーフバルコニーまで付いている。もうブルジョワ気分。テレビもソファーも洗濯機も新調した。古い炬燵とショボい箪笥はゴミ置き場へ叩き出した。
社会生活もけっこう快適だった。周りみんなが関西弁というのはかなりな違和感だったけれど、いい意味でおせっかい、かつオープンな人たちばかりで、すんなり溶け込むことができた(と思う)。
引継ぎを終えて、完全赴任となったのは4月の中頃。いきなり初回の飲み会で朝までコースとなった。
午前4時くらいだろうか、梅田でタクシーをつかまえる。
「武庫之荘まで。山幹通り沿い。駅に向かう並木通りを過ぎたあたりね。」
土曜に一度、車で梅田まで行っている。地図を見ながらだったが、ほぼ迷わなかった。だいたいは言える。運転手のおっちゃんも、
「はい、わかりました。」
と、それ以上は聞かなかった。ちょっとだけほっとした。
ガラ空きの道を快調に飛ばす。振動が心地よい。頭をCピラーに預け、目をつぶろうとしたその時、
「いやあ、今日はいい勝ち方やったねぇ、お客さん。」
おっちゃんが突然話し掛けてきた。
「明日は先発、藪やろうから連勝頂きやね。」
そう言えば、甲子園で巨人-阪神3連戦がスタートした。おっちゃん、この僕をあたり前にようにタイガースファンとして見ている。というか、この地に存在する者すべてがそうである、といった口調だ。
『あの、僕、巨人ファンなんですけど…。』
言えばよかったが、言えなかった。
「ええ、はあ、そうですね…。」
眠いのもあるし、適当に相槌を打ってやり過ごそうとしていると、
「ひょっとして、お客さん、東京の人?」
運ちゃんがバックミラー越しにこちらを睨む。
ま、バレちゃしょうがない。
「そうなんですよ。でも、出張で来てるだけなんですけどね。昼頃の新幹線でアッチへ帰るんです。」
未だにどうしてか分からないが、今日だけこっち、と言っておいた方がややこしくならないと思ってしまったのだ。
「そうですか、せやったら阪神ファン、違いますなぁ。」
寂しそう言うおっちゃん。
「いや、特に贔屓のチームはないんですけどね。」
これで角はたたないだろう。無言になった車内。知らないうちに僕は寝ていた。
「…さん、お客さん、着きましたよ。」
重い瞼をこじ開ける。眠っていたのか。
「…ああ、ありがとう。じゃ、そこ右に入って左手のマンションね。」
エントランスの前に横付けしてもらう。
「いやあ、立派なホテルですなぁ。」
「ホテル?」
「出張、ごくろうさん。」
ニヤリと振りかえるおっちゃん。
「!」
しまった。が、もう後の祭り。領収書も取らずに、そそくさとオートロック付きの高級ホテル(!!)に駆け込む僕であった。