横浜
2001年の夏は、暑い夏だった。
お盆恒例の大帰省大会。パターンとして、まずは妻の実家からまわることになっている。
当時2歳だった長女をおとなしくさせるため、新幹線はいつもお昼寝の時間を見計らって取っていた(ナマモノなので、そうそう思い通りにはいかないが)。今回は作戦成功。米原を通過する前にはウトウトし始め、新横浜到着のアナウンスが流れる頃にちょうど目をこすり出した。
『ツイてんじゃん!』
僕が荷物を持ち、妻は長女を乗せたベビーカーを器用に操り、下りのエスカレーターに乗り込む(ほんとは禁止なんですよね、コレ)。改札口では、お義父さんとお義母さんがそろってお出迎えしてくれていた。
初孫は格別、とは良く言ったので、2人の笑顔を見るとそうなんだろうと実感する。
「すいません、いつも迎えに来てくれて。」
いえいえ、と言いながら、お義母さんは長女の前にかがみ込み目を細める。
「大きくなりまちたわねぇ。ささ、あちゅいから早くおばあちゃんちに行きましょうね。」
妻の実家は、横浜の戸塚にある。
いつもならがのご馳走(これがまた旨い)と旨い酒。
子供の話、仕事の話、経済の話、昔話、未来の話…。肴にも事欠かない。
義兄夫婦が帰省していたことも手伝って、その夜は遅くまで笑い声が絶えなかった。
結局、義兄とは午前4時くらいまで飲み続た(こちらにも前年の11月、待望の第1子が生れた)。案の定、翌朝の僕の頭はズキズキ脈を打っている。
麦茶をいただき、新聞を開く。チラシがドサリと落ちる。何気なく目を通す。その1枚に目が止まる。
<戸塚駅徒歩5分。希少なる羨望の40邸宅、遂に登場!2002年3月完成予定。>
概ねこんなコピーだったと思う。
『運命じゃん!』
たぶんまだ酔っていたんだろう、妻にそのチラシを手渡す。
「午後、コレ、冷やかしに行こうよ。」
それから5時間後、僕らは駅前のモデルルームの中にいた。
「ねえねえ、思い切って買っちゃおうか?」
今度は妻の方が完全に酔っていた。
「絶対、こんな物件もう出ないって。値段もけっこう手ごろよね。」
「うーん、でも、来年こっちに戻れるかどうかなんて分からんしなあ…。」
「…。」
「でも、まあ根回しできないこともないけどね。」
「ホント!」
「まあ、な。」
関西に赴任して5年半。そろそろだろうという予感はある。根回し云々も別にハッタリではなく、上を動かす自信もあった。
「一晩頭を冷やして、また明日行った時決めようよ。何せ家の話だし。」
実は、僕もかなり気に入っていたのだ。
翌日、再びモデルルームへ。その前に、冷静になろうと近隣の別な物件も2件程回る(これが冷静な夫婦がすることか?)。
「やっぱ、あそこが一番いいよね。」
「そうだよな。」
2人の思考が「買う、買わない」ではなく、「住むならあそこ」モードにすり替わってしまっていた。
「こんにちわ、昨日おじゃましたシノハラですけど…。」
モデルルーム到着。浮き足立っているのが分かる。頭のどこかでかすかにアラーム音も鳴っている。
でもそれは、担当営業マンの元気な声と、昨日より増えた赤い花の数にきれいにかき消されてしまった。
『よし、勝負。熱いじゃん!』
僕らは電光石火の仮契約を済ませた。
「きっと何とかなるさ、もしも万が一の時は貸せばいいし。まあ、いつかは戻るって。」
自分たちを鼓舞する2人。完全に酔っていた2人。
2004年4月1日。今日、僕は9年目の関西生活を向かえる。