リレーコラムについて

29歳と29歳

原晋

 原 晋 という名前である。晋は「すすむ」と読む。この業界には博報堂の宮崎晋さんがいらっしゃるから、たぶん憶えてもらいやすいと思う。でもやっぱり、「しん」と読まれたり、「普」という字を書かれたりする。そういや「普(ふ)」という字と勘違いした友人のせいで、高校時代の仲間内では、「はらふ」というあだ名で呼ばれた。「オマエ、普通の人になって欲しいっていう願いを込めて名付けられんたんだな。」って、親だってもうちょっと期待してるよ。
 では、どんな期待が込められた名前なのかというと、高杉晋作の「晋」から取ったという、「普通の人」からエラく期待を込められた名前に飛躍してしまう。子供の頃に知っていたのは「高杉晋作の晋から取った」という事実。もう一つは、両親が山口県萩市の出身で、子供のうち誰か1人を萩で産みたいというこだわりから、姉と妹とは違って私だけが萩で産まれたという事実。そして、母の希望であった「晋」と、父の希望であった「晋平(しんぺい)」の二つの名前をクジにして、当時2歳の姉に引かせたところ、「晋」を選んだという事実。だから、聞かれたらそのように答えていた。
 月日が流れ、大河ドラマ「独眼龍政宗」「武田信玄」に影響を受けた私は、歴史小説を好むようにになった。あまり本を読むほうではなく、活発に外で遊んでばかりいたのだが、それ以来、井上靖の「風林火山」を皮切りに、ほぼ歴史小説専門に今日まで読み漁っている。最初、戦国時代モノを多く読み、次に明治維新モノを読むうち、自分でその高杉という男を詳しく知りたくなった。
 祖母の家がある萩に足を運んだり、下関やその近辺の史跡を巡ったりして、その足跡を辿った。事実は運命的だった。実は自分の住んでいた小倉は、高杉に攻められて敗れたこと。その最初の決戦地が、産まれてから東京に出るまでの20年を過ごした、小倉北区赤坂という場所だったこと。結婚した妻は、幼少の頃、高杉に縁の深い下関の長府という町で育ったこと。
 そして、知るほどにものすごい人物だということがわかった。「動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し」と評される高杉は、実に行動力がある。やることは全て常識破り。遊びかたも豪快。頭も切れる。歴史を作った革命家だけのことはある。
 「名前負け」という言葉がある。高杉のすごさを突きつけられるにしたがって、自分の名前に愛着が増したものの、同時にこの「名前負け」という言葉が頭をかすめるようになった。私はあえてこの運命を受け入れることにした。結婚を機に、本籍を高杉率いる奇兵隊決起の地、下関の功山寺に移した。そして自分のフィールドで、少しでも高杉に近づこうと決めた。

 そのフィールドに足を踏み入れることができたのが、それから1年半後。やっとスタートしたばかり。新人賞を取って、0.1歩くらいは近づけただろうか。いつか、誰も私の名前を見て「普」という字と間違わなくなること。それも一つの指標になるかもしれない。
 
 29歳で逝去した高杉。私は今、29歳。これから、らしい。

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