リレーコラムについて

コピーライターをやめる時。

高田伸敏

前の会社にいた時のことだった。28歳くらいだろうか。
当時、銀行の仕事を担当していた僕の隣には、
かけだしのコピーライターが座っていた。
背が高く、といっても僕と同じくらいだけど、
やせていた彼は、いつもCDに怒られていた。
銀行の仕事の大半は、つまらないものが多い。
店頭のポスターや、TVCMは面白いが、
パンフレットやチラシ、支店の開設や統合のたびに書くあいさつ状は、
特につまらないものだった。
なぜなら、失敗しないことが正しいことだから。
広告が本来求められる、人の興味をひきつける必要がない。
そんな仕事に疑問を持ちながら、
それでも彼はコピーライターとして面白いものをと
努力していたと思う。

彼の宣伝会議時代の課題に対するコピーやエッセイを
見せてもらったことがあるが、恐ろしく面白かった。
どの文章も、人を惹きつけ、文句のつけようがない面白さだった。
作家になったほうがいい。正直、そう思ったものだ。
彼は、当時、作詞などもやり始め、音楽の編集者みたいなこともバイトで始めていた。
そして、その話を話す彼は生き生きとしていた。

あまり飲みにいった記憶はないが、ある時、一度、占いに行ったことがあった。
占いをやってみたいと言った僕に、彼もついてきたのだと思う。
どんな占いだったかは、覚えていない。多分、手相占いとか、そんなやつだ。
僕は、今の仕事で大丈夫だと言われた。少しホッとしていた。
彼はといえば、コピーライターには向いてなく、
やはり作詞というか作家のほうが向いているという結果がでていた。
ま、あくまで占いなのだが。
「僕は、やっぱりコピーライターに向いてないんですかね」と自嘲気味に笑う彼に、
適当な励まししか言えなかった。
僕は、そういう大事なタイミングに、いつも、いいことが言えない。
しばらくして、彼はコピーライターをやめた。
会社を辞めたのではなく、コピーライターをやめた。

それから2、3年して彼の名前を見たのは、
もちろんコピーライターとしてではなく、作詞家としてだった。
さらに彼は、新しい短歌の旗手として注目を浴びるようになっていた。
その後、彼は短歌の本を何冊も出し、イトイさんのHPにも連載することになり、
最近は広告関係の雑誌でも対談が載るようになっている。
彼のことを広告界に失望して、短歌の世界に行ったと言う人もいる。
そうかもしれない。
でも、実のところ、僕は、あの時の占いが、
彼を歌人にしたのではないかと、たまに思ったりする。
向いてる向いていない、ただ、それだけのことかもしれない、と。

どうなんだろうね?まっすん。

NO
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