僕をコピーライターにした君へ
今からもう、25年も前のこと。
僕は生まれ育った東京文京区の小石川という町で、
友人と2人でスナックをやっていた。
もちろん経営していたわけではなく、そもそも僕たちは客だった。
何度か通ううちに馴染みになり、
ある日、マスターとその奥さんに誘われたのだった。
「週に何日か、2人で店をやってみない?」
30代半ばのマスター夫婦は、当時流行りはじめたサーファーで、
店よりも海に気持ちが向いてたのだと思う。
僕たちはよろこんで引き受けた。そして、今思い出すと
ちょっと切なくなる、幸せな日々がはじまった。
僕は、それまでも喫茶店やスナックのアルバイトを数々経験していて、
カウンターの中のことはひと通りできた。
そして、これは天職かもしれない、と思うようになっていた。
そのスナックには、近所の商店主のおじさんや、タクシー運転手仲間、
美容師のお姉さん、僕たちの遊び友達、そして、
サーフィン帰りのマスター夫婦も客として飲みにやってきてくれた。
僕は、そんなさまざまなお客さんたちのさまざまな話を、
カウンターの中から聞いているのが好きだった。
まだ19の未成年の僕に、僕よりまったくオトナの人たちが、
仕事の苦労話、家庭のこと、恋愛の相談、ギャンブル話、
人生論らしきものを、楽しそうに悲しそうに、
話してくれるのが好きだった。
それも、僕がつくる水割りやジンライムやスパゲティナポリタンを
飲んだり食べたりしながら。
僕は、いつか自分の店を持とう、と思った。僕の夢は小さかった。
数ヵ月がたった、ある土曜の夜だったと思う。
歩いて2,3分のところに寮がある、2人の女子大生が店にきた。
いつも通り、2人とも洗いざらしの髪、顔はすっぴん、
着ているのはジャージでサンダル履き。
普段どんなファッションでどんな化粧をした女子大生なのか、
まったく知らないままだった。
ビールの栓を抜き、2人のグラスに注いでから、
僕は店のボトルで自分の水割りをつくり、なんとなく2人の会話に
耳を傾けていた。就職の話をしていた。
2人の会話が途切れ、ふと彼女たちに目を向けると、
髪の短いボーイッシュな方が、怪しげに僕をじーっと見ている。
そして、こう言った。
「ねえ、アキちゃんは、ずっとこのままでいいの?」
「なにが?」と僕はとぼけた。
「シゴト。ねえ、ホントにいいの、それで?」
「まあね。それともなんかいいのあるかな?」
僕が聞き返すと、髪の長い方がタバコを吸いながら言った。
「コピーライターになったら?キャッチフレーズとか書く人」
「へー、それ、どうしたらなれんの?」と僕がまた聞くと、
「本屋行ってさ、宣伝会議っていう雑誌買ってくんの。
そしたら申込書がついてるから」
「なんだそれ?」と僕は笑った。2人も笑った。
それから1年と数ヵ月後、僕はコピーライターになった。
そして今年、僕は44歳になる。
あの翌日に、素直に神保町の本屋へ行ったのは、なぜだったんだろう。
スナックの夢を、あっさり終わらせてしまったのは、どうしてなんだろう。
あの2人の顔も名前も、今ではまったく思い浮かべることができない。
彼女たちだって、きっと同じに違いない。
そんな風に生きてきて、この歳になって、この頃思い出して、切なくなる。
◆
というわけで、今週コラムを書くことになった秋元 敦です。
祭日はお休みされても問題ありません、という事務局の方の
やさしい言葉を素直に受け入れ、今日からはじめます。
あと3日、私事をだらだらと書くと思いますが、お許しください。
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