「戦い済んで、その後に」黒須田先生の話
江上さんから、タスキを受け継ぎ、いざ。
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その前にお礼を。
この6月、入会30周年ということで
「TCCベア」の記念品をいただきました。
ありがとうございました。
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同日、表彰を受けた梅本洋一さん、後閑博太郎さんとは、
旭通信社時代(現ADK)で机を並べておりました。
サーティーズ表彰の後に行われた今年TCC会員になった
若い人たちの紹介に拍手しながら、
「思えば遠くに来たものだ、港の汽笛いまいずこ」。
お二人の横顔を見ながら、若かった頃を思い浮かべておりました。
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もう、35〜6年前の話になります。
まあ、まあ、折角、アクセスしたのですから、
年寄りの思い出ばなしとしてお読みください。
黒須田伸次郎氏。中年以上の広告人なら、
この人の名前ぐらいは記憶されているでしょう。
先生ほど多くのコピーライターを育て、
広告を愛した人は、いないと思う。
宣伝会議のコピー講座で受講した方も多いでしょう。
その講座の話は、僕自身、記憶していない。
でも、麻雀好きの先生は、洗足池のご自宅に若かった僕たちを招き、
徹夜で麻雀を打つ。
時には見知らぬオジサンが、後からやって来て仲間に入る。
森永の村瀬です。博報堂の佐藤です、等と紹介されるが、
トンと関係が判らない。肩書きとか、職業とか、
そんなものはどうでもいいのだ。今、麻雀ができれば、それがいい。
式亭三馬の浮世床の風景と似ている。
お侍であろうと、町人であろうと、銭湯に入る時は皆同じ。
麻雀をやる時は全員平等。
始まってしまえば3分で仲良しになれる。
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麻雀の戦い疲れて朝となる。終わると雑談になる。
いろいろな広告の話となる。
先生は、森永時代、博報堂、エージーの時代、
コピー十日会のこと、片岡敏郎氏の話、
大阪のグリコの広告を作った岸本水府氏のこと、等々。
若かった僕はワクワクしながら、先達の広告作法を聞いた。
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「巧いコピーなんて、たいした事じゃあないんだ。
街中には文章の上手な人はゴロゴロいる、
上手にコピーを書こうとするから、下手になる。
コピーライターっていうのは、得意先の話をじっくり聞いて、
翻訳して買い手に届ける仕事なんだ。
商品広告というのは、得意先が売れる言葉を持っている。
それを引き出せるか、どうかだ。」
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「俺がトクホンの仕事をしていた時、
売上げが頭打ちになって、どうにかしたい、
いい広告を、ということになった。
そこで研究所に行って、肩コリについて、いろいろ教えてもらった。
その時の研究員の言葉。俺は素直に書いたね。
肩コリというのは、凝ったところだけ貼っても
効果が少ない。凝ってない肩の方にも貼ると凝りが取れる。
つまり両肩に貼るといい、ということだ。そのコピーが
【右の肩が凝ったら、左の肩にもお貼り下さい。】
売上げは倍になった。トクホンの人も喜んだ。
なに?広告のスペース。15段なんかじゃないよ。
突出し。新聞の。数が多かったと思うよ、数年やったから。
いつの間にか貼り薬は2枚使うのが、買い手の習慣になった。
広告って、そういうのがいいのだ。
片岡さんや岸本さんも、そういうこと考えていたようだ。」
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「TCCの新人賞を獲るために、年鑑を熟読しても駄目だよ。
先輩たちのコピーや切り口をナゾっても、審査する者にとっては
刺激にならない。そりゃぁ、そうさ、自分が考えていたこと、
以前考えていたものを出されたって凄いと思わない。
そんな広告に賞など渡すワケがない。
アイデアの二番煎じ等、マズくて飲めやしない。
年鑑を読むのは、自分のアイデアと同じものが
過去に出ていないかチェックするためにあるのサ。」
次回も思い出ばなし。
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