ニューギニアロケ・チン道中日誌2
おはようございます。
今日の大阪はシゴトなど忘れてサーフィンに行きたいほど、
ムチャクチャいい天気です。
では、昨日のつづきです。
2003年12月初旬・現地交渉(コーディネーターの回顧)
「今年も早いもので、あと少しで終わりや・・・。なんとか無事に正月が迎えられそうやな」とコーディネーターは師走の町を走らずに歩いていた。その時、携帯がけたたましく鳴った。気のせいか寒気がした。「もしもし・・・、ちょっと相談があるンですけど・・・」CMプロデューサーからだった。こんどは気のせいではなく、ホントに寒気がした。後ろ髪を引っぱられる思いで事務所に行くと下手な絵コンテを見せられた。「どこか知らんのですけど、ここに行って、この人たちを撮りたいンですわ」。コテカの代わりにぐにゃっと曲がったマルトラップと呼ばれる排水管をつけたコンテだった。企画としては面白いが、いつものごとくスケジュールの余裕もなければ交渉のあてもまったくないという。「ぜんぶおまかせしますから、よろしく頼んますわ。明るい新年迎えたいでっしゃろ」相談ではなく脅迫だった。このところコーディネーターとしての依頼が殺到しているが本業はイベントの演出なのだ。そのシゴトで培ってきたアジアの政府筋や航空会社と太いパイプが近頃CM業界では重宝がられている。実はコンテを見た瞬間に場所も交渉すべきキーマンも道筋も頭の中で整理できていた。場所はイリアンジャヤの奥地。いわゆるニューギニア島の山間部で、コテカをつけているのはそこで暮らす少数民族。さっそく思い当たる筋に連絡をとり現地の情報を把握するとともに少数民族の酋長と親しい男と直接コンタクトをとることができた。「ギャラは豚一頭、基本的にいい人たちなのできちんと接すれば企画も問題ないでしょう」との返事をもらう。報告に行くとさっそくロケハンに出たいとプロデューサーがまくしたてるので大事な予算のことを考え航空会社に勤務する後輩を夜の町に呼び出し先輩風を吹かせながらドロップキックを2〜3発決めて思いっきり飛行機代をまけさせた。それでなんとか、撮影の見込みができて、ホッとした。のもつかの間、ディレクターがどこで調べたのか知らないが、「なんという部族ですか?一説には300もの種族がいるらしく・・・、このコンテについている資料の部族がいいンですけどお・・・」なんてワガママを言い始めた。「インターネットはおろかFAXもない現地とやりとりしているのに、そんなもん、行ってみなわかるかっ!!」という言葉をぐっと飲み込んだ。ぶるぶるぶるっと強い寒気がした。そして2日間寝込んだ。(つづく)
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