LPの病。
今日はいよいよ決戦の日。
結果次第でいろんなことの流れが決まる、大事な大事な大事な試合です。
午後7時半以降は使い物にならないでしょう。
応援に魂込めるためにも、朝のうちに書いてしまいます。
コラムも3日目。
どうでもいい人にはどうでもいい話を続けているんですが。
こうなったらもう今日も音楽つながりでいこう。
高校生になった僕は、貸しレコード屋のアルバイトを始めました。
とにかくたくさんレコードが聴きたかったから。
当時はレコード一枚聴くのって大変だったんです。
高価だったし、友達と貸し借りしても聴ける枚数には限度があるし。
そのバイトはよかった。とにかく聴きまくり。
日本で発売されたアルバムはほぼ全部聴いてましたね。
そこには何人かバイトがいて、それぞれがなんとなく担当分野を持っていました。
ヘビメタ担当。ジャズ・フュージョン担当。黒人音楽担当。
そして僕はニューウェーブ担当。
でもみんな仲が良かったから、ジャンルの垣根なく何でも聴きました。
だから詳しいですよ、あの頃のヘビメタとか、ブラコンとか。
で、その店は輸入盤とかも置いてたから、週一くらいで買いに行くんです。
タワーレコードとかシスコに。輸入盤屋なんてそのくらいしかなかった。
そして、店に出す前に全部カセットに録音です。
ホントは全部レコードで欲しかったけど、
1枚買うお金で10枚聴けるんだから全部カセットです。
レコード盤が欲しい気持ちは、その後、自分で稼ぐようになってからかなえました。
CDに切り替わろうとする頃、レコードが二束三文で売られている時期があったんです。
300円とか500円とかで、欲しかったレコードをガンガン回収しました。
安いのは、うれしいような悲しいような気持ちでした。
僕は今でもレコード屋って言っちゃいます。
その方がなんかしっくりくる気がします。
いまだにレコード屋って呼ぶ人がけっこう多いと思うんですが、
若い人たちはそのことをどう思ってるんでしょうか?
集まったレコード達は、今ではほとんど聴きません。
CDやiPodが中心になってしまいました。
実家からはレコードなんとかしろと言われ、
今の家でも収納に困ってはいるんですが、今後も捨てることはできないでしょう。