先生、わかりません!
原科健介
「論理哲学論考」を読むと、
哲学者のヴィトゲンシュタインは、
最初、小学校の先生をしていたらしい。
でも、もともとまったく不寛容な性格で、
あげくに相手の気持ちになって
考えることがぜんぜんできない人だった
らしく、小学生相手に本気で大学レベル
の授業をしていたとのこと。
小学生にしてはたまったものではない
だろうけれど、その光景、見てみたい。
「せんせい、わかりません」
「命題の意味が真であるかどうかが
判らないのか、それとも命題の肯定か
否定かという判断が判らないのか」
「…わかりません」
「それはすなわち思考できないという
ことであって、論理の限界であるという
ことに他ならないという意味か」
「わかりません!!」
みたいなことだったのだろうか、と想像すると
楽しい気分になります。昔、グレン・グールドという
ピアニストがいて、動物園の象に向かって
マーラーを聴かせる、ということをテレビで
やっていて、「バカだなあ」と思ったけれど、
天才がやることって時々なんだか
モンティ・パイソン的にクレイジーになっていく
みたいです。
象にマーラー、子供に哲学。せんせい、それちょっと。
追記
ところで、グレン・グールドの世界と、
ヴィトゲンシュタインの書くものって、ちょっと
似ているような気がします。アフォリズムの
集積でひとつの世界観を導き出すヴィトゲンシュタインと、
音の主従を解体して、ひとつひとつの音のつらなりから
音楽そのものを再構築するグールドと。
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