リレーコラムについて

こんなコピーライター、ちょっといない。 その5

都築徹

帰りの飛行機は、ナイロビ発。
まだ、わたしは、タンザニアのザンジバル島にいた。

ホバークラフトに乗って、ケニアとの国境近くに渡り、
陸路でケニアのモンバサへ。
再び体調が悪化して、風景を見る余裕はなかった。
バスを降ろされ、旅慣れた白人たちと一緒に国境審査。
呼吸が荒いわたしに、審査官も手加減してくれたようだった。

モンバサから、ナイロビ行きの汽車に乗る。
奮発して一等車に。
スーツを着た、インテリな黒人が同室。
マナーも心得ていて、英語も達者。
薄汚れた自分が恥ずかしくなった。
ナイロビに近づいたとき、
『世界の車窓から』そのままだった風景が、一変した。
バラックでできた無数の小さな家のようなものが、
びっしりはりついた斜面。
その向こうに、コンクリートでできた高層ビル。
貧富の差を、そのまま絵にしたような風景だった。

国境で大目に見てもらったツケが来た。
ケニアは、外貨をいくら持ち込んで、いくら換金したのか、
所定の書類に記しておかなければならない。
ところが先日の国境越えで、書類をもらい忘れていたのだ。

ある日、大都会ナイロビの真ん中で、
背の低い黒人女性と知り合った。
CENTRAL BANK OF KENYAに知り合いがいるという。
早速、デタラメな英語で事情を書いた手紙を用意して、
その偉い人と会ってもらった。
彼は、黒い顔の表情ひとつ変えず、
新しい書類にサインをしてよこした。
ありがとう。助かったよ。
背の低い黒人女性からは、日本に帰ったら、
カメラを送ってくれ、テレビを送ってくれと頼まれたが、
帰国後は一度も連絡をとっていない。

アフリカから、帰れなくなるところだった男。
こんなコピーライター、ちょっといない。

コピーライターの名刺を、会社からもらったばかりの頃。
いま、東京で放送作家をしている女友達に、
「(アフリカのことは)いつか書くべきときが来るわよ」
と言われたことがある。
勝手ながら、このコラムで、16年前の記憶と向き合ってみた。
旅の日記をつけたことがないので、日付はわからない。
資料も全く見ないで書いた。事実と違うところもあるだろう。
でも、濃い映像が次々よみがえってきて、楽しかった。
きっかけをいただき、ありがとうございました。

あまりに個人的なコラムも、
明日から夏休みなので今日で終わり。
来週からは、今年のTCC最高新人賞を受賞した岡部将彦君に、
お願いすることにしました。
先週の土曜日に伝えてあるので、ネタは仕込んでるぞ。
期待して読んでください。

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