おもしろい、おもしろくないは、どうでもいい。
最近、広告を考えるときに、
おもしろい、おもしろくないは、どうでもいい。と思っています。
うそ。おもしろい方が絶対にいいとは思っています。
ただ、おもしろい、おもしろくないって、もはや才能の問題だったりもするし、
あと、世の中には、クドカンやらリリーフランキーやら、本当の意味でおもしろい
人がたくさんいたり、本当のキ○ガイがいて、その人たちに比べたら、わりとまっとうに
生きているコピーライターの頭の中って、そんなにおもしろくないと思うんです。
おもしろさに関しては、そんなに広告の人を信じていません。
それより、そのCMなり、ポスターなりが、何を伝えるために、こういう表現になっているか、その広告を見た人に、どんな読後感を残したいのか、その商品やサービスをどうしていきたいのか、そのために、どんな表現が必要なのか。
そんな、コピーライターなり広告屋なりの、意志みたいなものが大事だと思ってるんです。
おもしろい、おもしろくないは、結果論であり、
それより、その作り手のチャレンジというか、企みがあるか、ないかが
大切だと思うのです。
分かりにくいので、具体的に言うと、
世の中の面白いものって、意味がないというか、無意味なものが面白かったりすると思うんです。モンティパイソンで、魚で殴りあう男たちの映像をみたとき、もはや意味すら分からないけどなんか面白かったりするんです。
で、たとえば、商品があって、この商品にはおもしろい表現が必要だと思えば、
なんとなく面白いではなく、無意味な表現をするという志をもって、無意味の持つ意味を、クライアントにも演出家やスタッフにも、キチンと説明できることが大切だと思うのです。
なんか、自分でもよくわからなくなってきましたが、
ほかの世界の表現者たちに対して、コピーライターなり、広告屋がもっている
一番の強みって、表現の目的をつくることだったり、表現の企みをキチンと言葉で
説明できることだったりするところだと思うんです。
それを私は、表現に対する「意志」みたいなものと言っているんですけど。
それが持てるようになって、はじめて、本当におもしろい人や、キ○ガイの人とも、
話ができるようになる気がします。
広告業界だけの、おもしろい、おもしろくない、軸で仕事をするよりも、
作り手の「意志」とか、企みを、意識して仕事をしていく方が、
ほかの表現者にはマネできないものが作れると思っています。
書けば書くほど、よく分からなくなってきましたが、
もはやこんな時間なので、書き直すほどのことでもないので、そのままにしておきます。
このコラムを読んでいる人は、ほとんどいないと思いますが、
せめて読んでいる人には、自分がどんな人間なのか伝えたくて、いろいろと考えていることを書いてみました。
次回のコラムは、木村亜希に頼もうと思っています。
木村さんは、月桂冠の仕事で、昨年、秋山晶さんと一緒にTCC賞をとられた注目の若手コピーライターです。最近、I&Sから電通に転職してこられました。ご本人には、エレベーターですれ違いざまに、コラムお願いします。としか伝えてなくて、了解を得たのか、微妙ですが、とにかくバトンタッチしてみます。木村さん、よろしくお願いします。
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