1988年の夏。
広島県は呉市にある呉市営二河プールは、
歴史(昭和24年建設)と井戸水(死ぬほど冷たい)が自慢の
壊れかけの屋外プールです。
1988年の夏、
当時10歳だった僕は、スイミングスクールの仲間といっしょに
この二河プールで毎年行われる県の学童水泳大会に参加していました。
ひび割れた石段の観客席からは、わが子を応援する親の叫び声や、
チームメイトを応援する小学生の息の合った声援が、
油蝉の大音量に負けじと飛び交っていました。
しかし、その日は少しだけ去年の大会とは様子が違っていました。
みんな、レースの応援しながらもどこかソワソワと落ち着きません。
原因は大会の進行に関わらず突然流れる、場内アナウンスでした。
「3回の裏終わって、0対0です―」
およそ2週間前からはじまった夏の全国高校野球選手権大会は、いよいよ決勝戦、
僕らの地元の広島商業が勝ちあがっていました。
「4回の裏終わって、0対0です―」
広島商業。通称、広商。
実家がこの広商と道をはさんだ向かいにあって、
ほぼ年中無休で金属バットの音を聞いて育った僕は当然広商ファンでしたが、
僕に限らず広島の人は皆一様に広商が大好きでした。
夏を5回制した(当時)圧倒的な名門っぷり、かっこいいユニフォーム(オールドスクールなんすよ)、高校野球らしいプレイスタイル(まあ地味っちゃ地味ですが)、広商といえばいまでも広島の野球少年たちの憧れです。
「6回の裏終わって、0対0です―」
「7回の裏終わって、0対0です―」
「8回の裏終わって、0対0です―」
真夏の二河プールにかすかにどよめきがおこりました。
「がんばれ上野!」僕の斜め後ろでおじさんが叫びました。福岡第一の強力打線に背番号10のエースがふんばってる姿が目に浮かびました。もう水泳大会どころではありません。僕は額の前で手を組み、目を閉じました。
そしてあの夏、もっとも暑かった瞬間。
「9回の表終わって、1対0です―。広商リードです―」
古いプールが本当に崩れんばかりの歓声でした。
僕はわけもわからずジャンプして、ひざをすりむきました。
5年生の小笠原君は「やぅゆあああ!」と奇声を発しながらポカリを振りまきました。
そして、そのときレース中で、一着でゴールした6年生の木村君は、
異様に沸きかえっている観客席に、「オレ世界記録でも出したか?!」と電光掲示板を返りました。
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あまりにも、早実―駒苫の決勝戦がドラマティックだったので、
思わず甲子園の思い出を長々と個人的思い入れたっぷりに書いてしまいました。。
(読んでくれた方すみません。次回からもっとコンパクトにいきます)
というわけで、長谷部さんからバトンを授かりました坪井卓(ツボイタク)です。
短い間ですがどうぞよろしくお願いします。