カッコいい石。
「うまい酒、ただで飲めるよ。」
という友人の言葉にひっかかり、大学2年のとき、
パチンコ屋のアルバイトをやめ、代官山のワインバーで働きはじめた。
昨日まで
「いらっしゃいませいらっしゃいませ
本日もジャンジャンバリバリ出して出して出しまくっちゃってくださませー!」
なんてインカムつけて喋っていた男が、一夜にして
「いかがですかお客様、こちらのピノ・ノワールなど。」
なんてことになっちゃったのである。
で、今日はそのワインバーでの話。
「ツボ、お前これが何かわかるか?」
ある日、酔っ払った常連のNさんがポケットから足の親指大の石を2個とりだしてカウンターに置いた。
「石ですね。」
ザッツライト、Nさんは続ける。
「フツーの石だ。なんの価値もねぇ。が、集めてんだ。俺。」
「フツーの石を?」
「集めはじめるとなあ、わかってくるんだよ。こっちの石より、こっちの石のほうがヤバいって。」
「はあ。」
「人間ってのは不思議だなぁ。いっぱい見てればちゃんとわかってくるんだよ。音楽でもそうだろ。最初よくわかんなくてもさ、たくさん聴いてれば、どれがカッコいいかなんてわかってくるじゃん。それと同じだよ。」
「なるほど。でもそのカッコよさって、客観性(絶対性)あるんですかね?」
「客観性?」
「みんながみんな同じ石をかっこいいって思うんですかね?」
「じゃあなにかお前。こっちの石より、こっちの石のほうがカッコ悪いってのか?」
「ええー?」
「このジェニーが、このマツごときに劣るってのか?」
「な、名前ついてるー!!」
結局Nさんは「お前も、ワインをもっといろいろ飲んで勉強して味の違いのわかる男になれ」といういい話をしたかったそうなのだが、お酒が入りすぎていたせいか、その日はなぜか僕が「客の残したタバコの吸殻を集める」という話で落ち着いた。
おかげで、今でも僕は灰皿を見るたびに
「あ、あの吸殻、まあまあカッコいいな」などと思ってしまう。
【教訓】
?俳句でも、盆栽でも、デザインでも、言葉でも、焼き物でも、石でも、ゴミでも、
たっくさん見ればどれがカッコいいかわかる。
(逆にたくさん事例を知ることが感覚を養う近道である)
?人生を楽しむには、なにかを集めるのがてっとりばやい。