リレーコラムについて

白い顔の女

三井明子

いまは、広告会社のアサツー ディ・ケイで働いていますが、
以前は、化粧品会社のコーセーで、宣伝部のコピーライターとして働いていました。
当時通っていた職業訓練校の「訓練」が終わる頃、朝日新聞の求人広告を目にして、
「ここに受からなかったら、コピーライターは潔くやめてしまおう…」と、
記念受験のような気分で応募しました。
縁あって採用されてからは、化粧品づくしの生活がはじまりました。

コーセーは、美しい女性がズラリと揃う、とてもキラキラとした華やかな世界でした。
ただ、彼女たちが、
「デスク」で堂々とお化粧をしている(新製品等を試している)ことには、最初びっくりしました。
でも、美しい女性がパウダーをパフパフしたり、ルージュを引いたりしているのは、
はしたないと言うよりは、艶やか、という表現が合っているな〜と肯定的に感じるようになり、
いつしか、美しくもないわたしまでもが、デスクでパフパフするようになっていました。
校正の合間、ちょっと気分転換に新色であそんでみたり、
アイディアに行き詰まると逃避行為としてネールアートを始めたりと、楽しい毎日でした。
しかし、そんな「ほどよい慣習」では、とどめておけないのが、
わたしのいけないところなのでした。

その姿には、「オカルトだ!」という声さえ上がっていたと聞きます。
それは、わたしが編み出した、程度を超えた行為、

「パックしたままオシゴト」。

オフィスの空調による肌のカサつきを救う、究極の乾燥対策です。
パックの種類を選ぶのは楽しいし、素肌はしっとりするし、とにかくいいことばかり。
しかし、パックをしたままPCに向かうわたしの姿は、
かなり異常なものだったようです。
わたしは、「白い顔の女」として、社内で知られるようになったのです。

直属の部長(CD)は、わたしのその姿には、なるべく目を向けないようにして、
「三井明子のパックのことは、オレは知らない(関係ない)」という姿勢を貫いてくれたので、
注意や警告などは一度も受けることはありませんでした。
よって、わたしの行為はエスカレートし、
ちょっとした打ち合わせにも、パックしたまま参加するようにまでなっていきました。

ちょうど、「パックしたままオシゴト」が自分のなかで定着してきた頃に、
わたしはコーセーを離れることになりました。
最後の日も、やはり「パックしたまま引き継ぎ」、「パックしたまま荷造り」。
次の職場、マッキャンエリクソンのクールな職場では、
とうてい「パックしたままオシゴト」などできるわけもなく、
慣れるまでは人知れずツラい思いをしました。

数年後、そんな自分の過去の習慣など、すっかり忘れた頃に、
コーセーの皆さんとの会合に参加することがありました。
久しぶりにお会いした、ある課長の第一声、

「三井さん? わからなかったよ! 今日はパックしてないんだね」。

しかも、そんなふうに数年前の自分の異常な行為を突きつけられても、
恥ずかしがることもなく、
「自由な時代だったなあ〜」
と、“美しい思い出”として懐かしんでしまった私は、
誰の目にも、もはや救いのない「恥知らずな女」として映ったようです。

一週間、ばかな私事を綴ってしまいましたが、
次回は、2007年の最初のコラムと伺って、
年始を飾るにふさわしい、輝くスターへバトンをお渡しします。
広告界の、ちょっと薄着な貴公子・井村光明さん(博報堂クリエイティブヴォックス)です。
井村さんとは、数年前に三宿のヘビメタバーで偶然お会いして以来のお付き合いですが、
真冬にお会いしてもTシャツ姿という、永遠の「風の子」のようなかたです。
井村さんは、昨日12月23日にお誕生日を迎えられました。おめでとうございます!
では井村さん、すてきなコラムをお願いいたします。

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