ありがとう「11PM」
「電通」という会社を知ったのは、中学2年の頃だったと思う。
何か目標がないと勉強する気が沸かなかった僕は、進研ゼミの「進路特集」を読んで、自分の将来を探していた。基準は2つ。まずはモノがつくれること。勉強もスポーツも面白さも誰かにかなわなかったけど、一番になれるものがあった。小学生の頃、何気なく書きはじめたマンガや新聞がびっくりするくらいの人気を集めたのだ。1冊何十円とかで売れたくらい。マンガのキャラクターをクラスで募集したりすると、それこそ溢れんばかりの応募があるくらい。そこから「絵のうまいやつ」という絶対的なポジションを獲得した。ある時「防犯ポスター」をつくったんだけど、クラスで人気者のK君が「あかん、なんも思い浮かばへん」と僕のところにやってきた。そこで彼に「こんなん描いたらええんちゃう?」とちょっとした助言をした。そしたらそれが大阪府のコンテストで入賞したのだ。僕の絵とともに。このときの快感は忘れられない。こうして「自分で描いた(書いた)もの」でメシが食っていけたらいいな〜と思うようになった。そして、もうひとつの基準。それは、お金だ。小学3年の頃だったと思う。ある日、学校から帰ると家にオヤジいた。なにやらお袋と悲壮な顔つきで話をしている。聞けば勤めていた会社の社長が夜逃げをして倒産したと言う。オヤジは線香会社のボイラー技師をやっていて、その仕事にとても誇りを持っていた。一度だけ仕事場に遊びに行くことがあったけど、オヤジの作業部屋みたいなものがって、自分のペースで働くその姿は何だかとても生き生きしていた。子どもながらにカッコイイと思ったものだ。そのオヤジが一瞬で職を失った。「俺も働かなあかん」。明日から食べものがない恐怖に襲われた。我が家に少ないながらも貯金があるなんて知らなかったから。それからというものオヤジは転々と職を変えた。不器用な人だったから、なかなか新しい環境に馴染めなかったのだろう。食品会社、うどん会社、おしぼり会社、立ち食いソバ屋、訪問販売員、用務員・・・。お袋は毎日のようにオヤジを責めた。友達や姉妹のダンナの稼ぎと比較しながら。ボーナスなんてこの世から無くなればいいのに!何度もそう思った。こうなるとお金はイヤでも人生のテーマになってくる。幸せはお金じゃない、なんて聞いてもお金があるから言えることだろ、と思ってしまう。だから高収入は必須条件だった。そんなある日、この2つの条件を満たしてくれる仕事に偶然出会う。当時、青少年の間で爆発的人気のあった深夜番組「11PM」。その中で「電通マンの1日」という特集をやっていたのだ(今では信じられないが・・・)。銀座のホステスたちにタクシーチケットをばらまく姿を見て、衝撃を受けた。なんだ、この仕事は?!と。手元にあった進路本を開いた。「広告代理店」「電通」という文字を見つけた。広告をつくる?何だか面白そうだ!しかも高収入!!何かのスイッチが入った。カチッと。
僕はラッキーなことに中学生という若さでものすごくリアルな将来を見つけたのだ。
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