4年目の転機
ご存知の方も多いと思うけど電通には転局試験というものがある。僕もこの試験を受けてクリエーティブ局に転局したうちの1人だ。
最初の配属はマーケティング局だった。どうしてもクリエーティブがやりたかったんだけど、それが現実だった。同期でクリエーティブに配属された人間が何だかとても輝いて見えた。今に見てろ!いつか越えてやる!!劣等感はいつも僕のエネルギーになる。幸いにもマーケという部署はとてもクリエーティブと近かった。プレゼンなんかでは、いわゆる前段がマーケ、メインディッシュがクリエーティブ。僕は転局試験に向けて2つのことをテーマにして仕事をすることにした。ひとつはメインディッシュも考えること。たとえ世に出なくても、「俺ならこうする」というコピーや企画を考えた。打ち合わせではなかなか発言できなかったけど、そのいくつかは実際にプレゼンまでいったりもした。宣伝会議賞にもトライして企業協賛賞に入選したり、広告批評主催のTUGBOAT塾というところに通って企画を岡さんや多田さんに褒められたこともあった。そして、もうひとつはマーケという立場でメインディッシュになること。当時、アカウントプランナーというのがカッコよく思えた。営業はクライアントに、クリエーティブが作品に責任をもつなら、アカウントプランナーは消費者に責任を持つんだ、というのだ。クリエーティブの前段をつくるのではなく、クリエーティブを動かす。あの「got milk?」キャンペーンのように。ただ、グルインや定量調査をやるのではなく、自分なりの仮説をしっかり持ち、ユニークな調査手法でそれを証明していく。鮮やかな結果が出せたかは自信がないけど、少なくとも僕はそれにやりがいを感じていた。
転局試験は筆記試験と面接試験がある。筆記は午前中、発想力のようなものを試されて、午後、キャンペーンを丸々考えるというものだった。マーケ時代いつもやっていたことをそのまま紙に書くだけでよかった。幸いにも成績が良かったようで面接に呼ばれた。面接で僕が「置いてきた」ことは、とにかく強い広告をつくりたい、という意思だった。TUGBOATのつくる広告やカンヌのそれはカッコよかったし、何より消費者を動かしていると思った。僕は消費者に対して責任をもって仕事をしてきたつもりだったし、消費者に無視されたり、すべっている広告だけはつくりたくなかった(そんな広告だらけに思えたのだ)。消費者なんて他人行儀な言葉だけど、少なくとも自分と嫁さん、両親、親友には受ける表現を目指そうと思った。
こうして僕は4年目の夏、クリエーティブ局へ異動した。たっぷりの夢と希望を抱いて。だけど、現実はそんなに甘くなかった。
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