リレーコラムについて

しのぎを削る

永友鎬載

僕の名前は「こうさい」と読みます。
なんでも、名前をつける先生が命名してくれたそうです。

小学生の頃、父に「どういう意味なの?」と聞いたのですが、
名前の由来が書かれた紙を紛失してしまったらしく、
僕はいまだに自分の名前の意味がわかりません。

鎬という字は「しのぎ」とも読み、
しのぎを削る、という言葉でよく使われます。

鎬をけずってコピーを載せる。なんかコピーライターの
仕事のような名前だなあと、強引ですが思います。

そもそも僕は学生時代、この仕事に就くとは思ってもいませんでした。
ただ、広告代理店には興味があって採用試験を受けていたのですが、
営業職志望で、制作の仕事なんて自分には絶対無理だと思っていました。
(企画やコピーが浮かばないとき、今でもつくづく思います…)

結局、面接にことごとく落ちまくり、
6月にPR会社に内定をもらった時点で就職活動をやめました。
もういいかなと。2000年の当時は就職氷河期で、
就活にかなり疲弊していました。

その後、残りの学生生活をどうしようかなあと思いつつ、
毎日だらだらと巨人戦を観ながら過ごしていたのですが、
ある日、某代理店に決まっていた友達から連絡がありました。

10月から宣伝会議のコピーライター養成講座に通うけど、お前もどう?と。
まあひまだったし、なんか楽しそうだなあと思って通うことにしました。

で、授業を受けてみたら、コピーライターの仕事ってこんなに面白いんだ、
とびっくりしました。というか、今考えるとだまされたのかなあ。
いや、でも面白いと思いました、実際。

授業では主に講義のほかに、事前に宿題が出て
(例えばとうふのキャッチコピーを書きなさい等)、
いいコピーを書いた人は表彰されるシステム。
僕は普通の成績でしたが、でも時々表彰されることもあり、
それがうれしくて、この仕事に憧れを抱くようになりました。

で、もう一度、就職活動を始めました。
といっても、大学卒業直前の2月。
おおっぴらに募集している会社なんてありません。

そこで広告制作会社の電話帳みたいな本を買ってきて、
片っ端から「募集していませんか」と電話してみました。
断られてはへこみ、また電話するという連続でした。

そんななか、ちょうどコピーライターが辞めたとのことで
会ってくれる会社があり、面接を受けて、内定をもらいました。
(あとで気づいたのですが、その会社の住所はなぜか新宿二丁目でした)
ひとまず、なんとか、コピーライターになることができたわけです。

ちなみに、講座に通っていたときの先生とは、
今も大なり小なり交流があります。

当時、仲畑広告制作所にいらした芳谷兼昌さんには
かなりお世話になっていて、時々飲みに連れて行っていただいたり、
草野球の試合に誘ってもらったりしています。

また、E.の東秀紀さんもその頃にお会いしました。
初めて会った日に朝まで飲んだあと
ラーメンをおごってもらったのですが、
なぜか食べたあとにラーメンをお持ち帰りしていて、
「こんな早朝なのに誰に持って帰るんだろう」と
不思議で仕方がなかったことを覚えています。
あと単純に、ラーメンを持ち帰りできる店を知ってるのもすごい。

東さんには昨年、TCCに入会するきっかけとなった
エドウイン仕事のCDをお願いして、快く引き受けていただきました。
当たり前ですが、縁って大事だなあと思います。

あと当時、同じ生徒だった人も何人か、同業で活躍していたりします。
いい仕事してるなあと、すごく刺激になります。

今でもたまに飲んだりするのですが、仲間としてよきライバルとして、
しのぎを削っていければなあと思う夜の3時です。寝ます。

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