砂漠ノート
1997年。もう10年も前の話だ。大阪の電通でコピーを書いていた当時、「熱闘甲子園」という高校野球の番宣ポスターの仕事があった。この仕事は関西ローカルながら優秀な先輩が奮闘し、海外でも広告賞を取りまくる要注目の仕事だった。願ってもないチャンスボール。なのに自分一人で決めきれず、周囲の先輩に書いて見せてはダメ出しされる、冴えない入社6年目だった。どう書けばコピーになるのか、何がいいコピーなのかわからず(あんまり考えもせず)ただひたすら思いついたことを、ノートに書きなぐりしばらく眺めては落胆する、その繰り返し。そんなアホノートを見て、ある女性コピーライターは、爆笑しながらこう言った。
「これ、砂漠みたいなノートやなぁ」
嵐のようなマシンガントークで有名な彼女は、それから仕事でもないのによく面倒見てくれた。電話の受話器が熱くなるまで2、3時間。会社近くのバーで飲みながら閉店まで。ちょっと毒舌だけど、恐ろしく速くて的確なアドバイスに、ボクはただ相づちを打つだけだった。(他の先輩たちもほぼ同様だったが)その頃はいかにもコピーっぽいというか、言葉遊び的なコピーをコピーだと思っていた。どう言うかより、何を言うかが大切なのに。でもそんな砂漠の中から、彼女が拾ってくれたコピーがひとつあった。
「あんたがうちの息子やったらええのにねぇ」
この仕事でボクはTCC新人賞を貰った。自分で書いたのに、自分の目で選べなかったコピーで。彼女はコピーライターの児島令子さん。あれから10年、「砂漠ノート」はまだ続いている。相変わらず砂漠のままだけど。
(※中里耕平から引き継ぎました、松本巌です。彼程いいコピーは書けませんが、いい歌なら書けます。阪神10連勝でとても気分のいい月曜日です。今日から5連投、よろしくです。)
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