愛のうた
2001年12月6日。ボクは東芝EMIから1枚のCDをリリースした。
全く無名な会社員ミュージシャンの作詞作曲、京都在住の無名シンガーが唄った初めてのシングル。それがなんとイニシャル(初版予約枚数)20万枚を突破したのだ。発売前にスポーツ紙がそれを報じたことで、ようやく周囲は事件に気づき、そこから半年間、あらゆるマスコミから山盛り取材を受け、テレビ・ラジオもいろいろ出演し、ボクの生活はしばらく騒々しいものになった。
「愛のうた/ストロベリー・フラワー」
任天堂の「ピクミン」というゲームソフトのタイアップソングだ。
実を言うとオリコン初登場1位を狙っていた。通常、1位を取りそうな有名アーティスト同士は、各社同じ週に重ならないよう牽制して発売日をズラしてくる。ボクらは降って湧いたような臨時発売。同じ週には宇多田ヒカルの新譜「traveling」が控えていて、今さら宇多田ヒカルが1週ズラすわけもなく、結果は僅差の初登場第2位。同じ東芝EMIの1、2フィニッシュだった。以後、3ヶ月間、オリコンチャート2位をキープして(デイリーでは1位を記録すも)、あわやミリオンセラーまで飛距離を伸ばした。
「ストロベリー・フラワー」はVocalの渡辺智江とGuitarのボクの2人組。元々ライブ活動していた二人でもなく、「ピクミン」のCMがきっかけで、当時、妊娠中だった彼女が「取材とか、番組出演とか、ひとりで心細い」とユニットを組まされることになった。ボクが作詞&作曲したCM楽曲を彼女に歌ってもらい、フルコーラスに膨らませ、CDをリリースしたいと持ち込んだ東芝EMIが受けてくれた。アレンジャーにはボクのバンドのメンバーでもあった「パパ・ダイスケ」(「花花」のアレンジャー)を迎え、弦楽四重奏も入れて、小淵沢のスタジオで2日間で録音した。本当に充実したクリエーティブな時間。B面(つまり2曲目)の「涙があふれた」のオケの録音時は、ほんとに泣いてしまった。ユニット名も発売直前、「一期一会」のいちごでストロベリー、一回こっきりで咲いて去るつもりの「ストロベリー・フラワー」と慌てて決めたのだ。
渡辺智江を初めて目撃したのは、友達のライブを見に行った際。その対バン相手「コケッシーズ」で歌っていたのが彼女だった。まさに脳天直撃、度胆を抜かれた。「たま」か?「エノケン」か?でも「ちゃんと女」だ!曲は全く覚えてないけど、飄々とシンプルに、自分の声を自在に操る彼女に、ボクは勝手に運命的なものを感じ、楽屋まで押し掛けてすぐ電話番号を聞いた。まさかこの2年後、二人でCDをリリースなんて想像もしなかったけど。
ボクにとって音楽とははっきり「歌」のことだ。インストルメンタル・ミュージックは基本的に体をスルーして、残らない。だから好きな音楽は?と聞かれても、ジャンルでは答えられない。ジャズでも歌があれば聞くが、なければ聞かない。好きな音楽は「歌のあるものなんでも」だ。そしてもっと言うと、歌とはつまり「声質」だと思っている。尾崎豊のプロデューサーだった須藤晃さんも同じことを言っていた。「尾崎の魅力は、その歌詞でも、メロディでもない、声質だ。」渡辺智江の声質は、ボクにとって衝撃的だった。
あの時ライブに行かなかったら、彼女の声と出会わなかったら、この歌詞も、曲も、仕事もなかったと思う。CM企画からスタートし、ここでは書ききれない程の貴重な経験をした。人との巡り合わせと広告の可能性を、身にしみて感じた忘れられない仕事だった。
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