身勝手について
かなり以前のことになるが
京都の飲み友だちのお婆ちゃん「たまちゃん」から電話があった。
「ご飯食べに連れてっておくれやす。」
気楽な博多料理の店に連れて行った。
たまちゃんは刺身をたくさん食べた、ウニのおかわりもした。
長茄子の焼いたのが出たら、喜んで珍しがって
生のまま持って帰りたいとも言った。
さらに小さな片口の灰皿も欲しいとのたまった。
そうして、さんざん飲んで食べてお土産をぶんどった揚げ句
のたまったひと言がある。
「あてらがこんな年齢になってもおいしいもんをいただけるのは
み〜んな、あてらに徳があるからや。」
「あて」というのは「私」の意だ。
たまちゃんは、自分の人徳でうまい料理がテーブルに並び
お土産までついてきたとおっしゃったのである。
それから私は「人徳」という言葉に疑念を抱くようになったが、
すべての勘定を払い、店の女将にお土産の交渉をした私は
人徳がないのでそういう目に遭うのかもしれなかった。
さて、いま環境問題で「地球の危機」とか
「この星が病んでいる」という言葉を聴くが
それはたまちゃんに勝る身勝手ではないかと思うことがある。
生物による環境破壊は今にはじまったことではない。
いまから32億年ほど前に誕生したジアノバクテリアによって
地球の生命史上最大の危機がおとずれている。
ジアノバクテリアは光合成の先駆者だが
二酸化炭素におおわれていた地球に
ジアノバクテリアは酸素をもたらしてしまったのだ。
そりゃあね、光合成すれば餌には不自由しなくなるけれども
酸素を出すのはやめてちょうだい、と
みんな言いたかったに違いない。
光合成の廃棄物として作られる酸素は
当時の生命体にとって有害物質だった。
細胞膜を破壊し、遺伝子を傷つけるものだった。
酸素に触れた生命体は傷つき死滅する。
しかし、最初の酸素は海中の鉄とむすびつくことで
酸化鉄として固定された。
ここに絶滅までの執行猶予が生まれる。
すべての鉄が消費されるまで、数億年の時間稼ぎだった。
その数億年の間に
酸素に適応するものがあらわれたのだ。
酸素を分解する酵素を獲得する奴もいたし
大きくて賢い奴のなかには
酸素を利用することを覚えた生き物を自分のカラダに取り込んで
働かせるやつもいた。
そのとき取り込まれたミトコンドリアなんぞは
いまだに我々のカラダの中で働いている。
こうして、うまくいったごく一部の連中が絶滅を乗り越えて
新しい進化の道をたどったのだ。
もともと二酸化炭素の星だった地球に
いま二酸化炭素が増えても危機とはいえない。
酸素が増えたときも地球の危機ではなかったように。
環境問題は地球の危機ではなく、あんたと私の危機なのだ。
「星の危機」という身勝手な言葉を使う前に
このくらいのことは勉強しといた方が良くないか。
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