広告ブーム!
気になったものに飛びついては、
瞬間的にのめり込んで、しばらくたつと忘れてしまう。
習い事もバイトも、続いたためしがないのですが、
広告づくりは飽きません。
コピーライター志望の方も読んでいただいてるようですので、
リレーコラム最終回は、こういう人もいるという参考に
「あるコピーライターの歴史:小野仁士の場合」をダイジェストで。
今までのコピーライター人生が、ちょうど5つの時期に分かれるので
つぎにコラム当番がまわって来たときは月―金で1日1期ずつ語っていくのも
いいかなと思ってます。
第1期:新卒で地元関西のプロダクションに就職
「さあ就活!」となり、あわててコピーライター志望に決める。
広告業界のこともあまりわかってなかった。仲畑さん、秋山さんのイメージが強く、
広告をつくっているのはプロダクションかフリーだと思い込んでおり、代理店は受けず。
マス広告は少しだけ。SP中心で、PR誌の仕事などは途中から
企画・取材・撮影・コピーなど、デザイン以外は全部ほぼ独りでやってました。
プー期:広告学校入学を口実に東京へ
プロダクションを1年半程で辞めてフリーに。
でも実家住まいだったため、あまり真面目に働かず怠惰を貪る。
半年して上京。就職したらまた忙しくなるのが目に見えていたため、
すぐ働くつもりはなく、広告批評の広告学校に行きながら
図書館に通ったり、東京を探索するプータローの日々。
第2期:東京アドデザイナース
約1年間のプータロー生活に飽きてきたので、東京で就活開始。
東京アドに拾っていただく。
「やっぱ、こういうことがやりたくてコピーライターになったんだよな」と実感。
真面目に働いて、いい仕事が優先的に入ってくる環境になりつつあったとき、
「年齢的にも、そろそろ代理店で働いてみたいなあ」と考え始めました。
ちょうどそのとき、知り合い経由で代理店から誘っていただく。
とほぼ同時に、知らない人から突然ケータイに電話があり、大會社に誘っていただく。
5分ほど考えて、大會社にお世話になることにしました。
第3期:大會社
大ボスのCD若山憲二さんに、日々、厳しくも愛のある指導を受ける。
コピーライター集団の会社。一人ひとりがフリーのように代理店と仕事したり、
大きな仕事のときは、みんなで一緒にやったりしてました。
元ライトパブリシティの今道正純さんにお会いできたのも嬉しかった。
第4期:またフリー
「自分の仕事は全部持って行けよ。ちゃんと責任持てよ」と言っていただき、持って出る。
自分の仕事だけで十分いっぱいあったので、ほとんど不安なくフリーを始められました。
途中、デルフィス(元大會社)のCD岩崎竹彦さんに美和ロックの仕事で
声を掛けてもらいTCC新人賞をいただくことができました。
第5期:ADK
年齢的に30半ばをすぎていたので、このままずっとフリー人生だと思っていたところ、
東京アドからADKに行ったスーパーADの青木二郎君に斉藤尊司さんを
紹介してもらい、斉藤さんにサトー克也さん、山本武志さんを紹介してもらい、
いろいろあって今日に至ります。ああ、人生めぐり会い。
ただいま在籍1年と8ヵ月
ちょっと昔に「1/fゆらぎ」というのが流行りました。これって
簡単にいうと「退屈しない程度に変化がある。でも極端な変化はない」という、
変化と冗長のほどよいバランス状態だと思うのですが、この仕事がそうなんじゃないかと。
コミュニケーションを考える、広告をつくるという基本に変化はないけれど、
毎回のクライアントの課題は変化するし、とりまく時代も変化し続ける。
その「ゆらぎ具合」に心地よさを感じているのかもしれません。
そのゆらぎ続ける広告という存在が、昔からの何でも広く浅くの体質、
熱しやすく冷めやすい部分、何かを表現したいという気持ち、
言葉の力や不思議さに惹かれる心、そういういろんな自分と
うまくシンクロしてるのだと思います。
まだまだ書き足りませんが、一週間ありがとうございました。
ご感想ご意見など無期限でお待ちしています。
ono.tcc.column@gmail.com
来週は、関西つながりということで、
フリーのときにお世話になった大広の安路篤さんです。
鋭い本質の部分を、普段ふわーっとした雰囲気で
カモフラージュされてるところが好きです。(すいません)
それでは安路さん、よろしくお願いします!
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