鳥葬
うわあ、篠原さん、すげえ振り。
今年の最高新人賞の日下慶太です。よろしくお願いします。先週の総会でお会いした人も多いかもしれません。初めてなもので、最初は緊張していましたが、みなさんあたたかく迎えてくれました。TCC受賞ということに人生ちょっと振り回された人たちの集まりだからでしょうか、やっとのことで受賞したぼくたちを心から喜んでくれているような気がしました。他の広告賞の受賞とは雰囲気が違います。来月の新人歓迎会もあたたかくお願いします。
まずは自己紹介。篠原さんの紹介にあったような波瀾万丈ぶりに憧れている、普通の人間です。人に自慢できることといえばただひとつ「人がいかないような色々な国を旅している」ということでしょうか。ここだけは人には負けないところです。その甲斐あってか日本では経験できないようなことを経験してきました。今日はその一つを紹介します。『鳥葬』です。
2000年の10月、チベットでの話。チベット自治区の首都ラサから車で丸一日かけて、とある人里離れたチベット仏教のお寺に移動しました。葬儀は翌朝催されるということで、その日はお寺に宿泊しました。翌朝早朝5時に起床して、鳥葬の場所へと向かいます。まだ太陽が出ていない薄暗い道を歩く。すると、広場に出ました。そこには石を敷き詰めた直径5メートルほどの円があります。そこで待つこと十数分、大きなずた袋を背負った若者が歩いてきました。その若者は袋の中身を無造作に円の真ん中に置きます。それはおばあさんの死体。膝を抱え込んだまま固まっています。袋にいれやすいように手足を曲げられたのでしょう。その姿勢のまま死後硬直している。体は黄色く変色し、独特の匂いがする。おじいちゃんの葬式と似た臭い。きっと死体特有の臭いなんだろう。その死臭をかぎつけたハゲタカがわんさかと寄って来た。100羽はゆうに超えている。しかも一匹一匹がとても大きい。翼を広げると3mほど。そのハゲタカが死体に飛びかかる。しかし、遺族がそれを追い払っている。まだ食うなと言わんばかりに。理由は、えげつない。お坊さんがその死体を台に乗せ、包丁で死体をさばき出したのです。手の肉をそぎ、ももの肉をそぎ、おしりをそぐ。ハゲタカが食べやすいように肉をさばいているのです。まるで、魚でもさばいているかのように平然と。時には笑顔もこぼれています。その間、別の僧侶がお経を読んでいます。地の底から響くような音。死体。死臭・・・・視覚、聴覚、臭覚の3感がおかしいことになってきました。調理を終えた僧侶は円の真ん中に死体と肉を置く。すると、ハゲタカは一気に死体に群がります。手・体・足とハゲタカは一斉についばむ。ついばむたびに死体は引き摺られる。頭がゴロゴロと音をたてる。口がパクパクと開く。左手だけ体から千切れる。その左手は空中に舞い、地上に落ちることなく次々とハゲタカが口にくわえる。圧倒的勢い。おばあちゃんは10分ほどで白骨になった。手のひらと足のひらを残して。農作業で硬くなった皮膚まで、ハゲタカは食いちぎれなかったのだろう。そして、白骨の奥から朝日が登ってきた。朝日を背景に白骨。もう一生みることがないだろう映像。絶句。
その白骨を僧侶がまた台へと運ぶ。今度は、ハンマーで骨を砕き始めた。骨は残った肉とまじりミンチ状になる。頭蓋骨も容赦なく砕く。肉片があたりに飛び散り、友人の服に付着した。ミンチは再び円の中心へと置かれる。そして、5分も経たないうちに、何もなくなった。何もかも。さっきまで黄色い人間だったのに。そして、食べ終えたハゲタカたちが一斉に両翼を広げた。「ごちそうさまでした」と。羽を広げているのは理由があって、太陽に向けて羽を広げることで体温を温めているのですが、あのタイミングは「ごちそうさまでした」でしかありません。ぼくはがっくりと膝を落としました。ショックのあまりしばらく動けません。しかし、気持ち悪いというよりは神聖な気持ちになりました。ぼくも鳥葬してほしいなと。なんだか自然に戻れるような気がして。自分の体をリサイクル、究極のエコだなあと。
ちなみに「鳥葬」は「天葬」ともいわれ、死体を食べた鳥が魂を天国へと運ぶという説がありますが、それは誤解です。死ぬと体から魂がぬける。すると、体はただの物質でしかなくなる。なので、他の生物に役立つようにする。というのがチベット仏教の考え方。うーむ、重い話になってしまいましたね。明日は軽くいきます。
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