15歳の選択
今では進学塾に行ってたり、家庭教師がついてる子どもなんか、
80年代のコピーライターのように、はいて捨てるほど沢山いるが、
ぼくたちの頃は、そんなにいなかった。
だけど、うちの母は、ぼくが中2の時、
どこでどう聞いて探してきたのかわからないが、
「あんた明日からこの塾いきなさい」
と、突然言いだした。
「塾なんて、いいよ」というぼくに、
「もう頼んであるの。明日からカラダひとつで行くだけだから」と、
まるで、遊廓に売られる少女を諭すかのように言い放った。
大人になってから、なぜ塾をすすめたのか?と聞くと、
どうも母は見栄をはったらしい。
近所の子どもが行く→うちの子は出来が良くてと聞く→悔しい→
いや、うちの子も→塾に行ってないと言えない→ならうちの子も。
と、持っていても、なーんの価値もないプライドが、そうさせたのだ。
母は、すぐ見栄をはる。この前なんか、
実家のある岐阜に地震が来た時、心配で電話をすると、
「いやー。部屋が汚くて、地震が来た夜中に掃除してしまった」という。
「なぜ???????」と思ってる瞬間、
「だって、あのままでは恥ずかしくて死ねんから」と。
地震がひどかったら、部屋なんてむちゃくちゃになるやろ!
と、言いそうになり電話を切った。
話しはそれたが、塾には、結局行くには行ったが、
中3になる前にやめた。
まあ、もともとむいていなかった。全然、楽しくなかった。
そんな、ある意味教育熱心?な母が、
ぼくが中3の冬にとんでもないことを言いだした。
「あんた、大学に行かせられないから、高校、普通科はやめときなよ」
「はあ?どういうこと?」と聞くぼくに一言、
「お金ないから」と。
が〜〜〜〜〜〜〜ん。である。
もう、東京タワーからバンジージャンプをした時(したことないが)よりも、
百倍の衝撃だった。
すでに、ぼく自身は普通科に行って、大学に行って、
好きな女の子とキャンパスをららら〜〜ん♥と、
スキップしながら楽しむと思ってたからである。
「んんんん〜、これはやばいぞ。なんとかしないと。
大学に行けないってことは、好きな女の子とスキップできない。
いやいや、その前に、高校を出てすぐに働くのか。
手に職つけないとやばいかも。手に職。工業高校?
う〜〜〜〜〜ん」と、自分の頭のレベルもまったく考えずに考えた。
しかも、「あ、私立もダメだから」と、今度はエベレストからバンジーね、
みたいなことを、さらっと言いのけたのだった。
今はわからないが、その当時、岐阜の田舎は私立より
県立のほうがレベルが高く、勉強をまったくしてない
ぼくは、またまた頭をかかえた。
結局、ぼくは、ある工業高校の建築科を選択し、無事合格した。
気持ちは進まない高校だったが、
でも入学式は、少しわくわくしていた。
どんなヤツがいるだろう。どんな先生がいるだろう。
そんな、ぼくに式が終わった後、母は、また頭をかかえることを言った。
「あんた、失敗したね。男ばかりだよ。臭いし、気持ち悪いよ」と。