思い出コスモス(その三) 「花びらのかざぐるま」
コスモスは明治20年頃に日本に渡ってきてから、
日本全国に広がり、ごくごく自然の草花のように愛されてきた。
あまりにもふつうの花となってしまって、
誰も、とりたてて「すてき」とか、「かわいい」とかいわなかった。
ただ黙って、咲くのを喜び、散るのを惜しんだ。
コスモスの花が、花屋さんの店頭に並んだり、
種苗を扱う店で種子が袋に入れられて売られたり、
そのようなことが始まったのは、いつ頃だったろうか。
種苗店に並んだコスモスの種子の袋には、
「早咲き」、「大輪咲き」、「改良品種」などのフレーズが
書いてあったように記憶する。このことは、
コスモスの栽培品種が誕生したことを暗示していたのだと思う。
それまで、さりげなく日常生活の色彩になっていたひとつの花が
スポットライトをあびて、スターの花に変身し始めたのである。
やがて、全国各地に、「コスモス草原」や「コスモス街道」が
登場し始める。もともとが高原に咲いていた花なので
コスモス名所となるのは、高原の多い内陸の県や北海道である。
いま、そのようなコスモス名所でみられるコスモスの花は、
一輪一輪が大きい。8まいの花びらはふっくらと丸みがある。
背丈は高く伸びても1mくらいまで。20〜30?でも花をつける。
色も在来種よりも、あざやかで濃い。
このような栽培品種のコスモスに、
なにひとつ、不満があるわけではないのだが。
昔からあったコスモスは1.0〜1.5mまで伸びて、枝を大きく
広げて、ひと株で、ちいさな樹木のようになった。
花は白か淡いピンクか濃いピンク。その花は大きくなかった。
8まいの花びらは、すらりと細長く、
その先端には鋭いV字型の小さな切り込みが入っていた。
花びらがスリムなので、その花を空にかざしてあおぎみると、
花びらのあいだから、秋の空が見えるのだった。
この花を一輪、すこし花軸を残して切り取るのである。
そして花びらを、いちまいおきに取り去って4枚にする。
するとコスモスの花は、花びらの風車みたいな形になる。
これを、そっと空に投げあげる。
すると花びらの風車は、クルクル回転しながら、すこし飛んで、
ふわりふわりと落ちてくるのだった。
私たちの少年時代、秋になると、少女たちが夢中になり、
ときおり少年たちも遊ぶこともある、素朴な遊びだった。
ときおり、アキアカネが、
花びらの風車を追いかけることもあった。
この遊びを改良品種のコスモスで試してみたのは、
40代を過ぎてから、札幌の郊外での、ことだった。
花びらを4まいにして、思いきって空に投げあげたのだが、
風車は、クルクル回ることもなく、まっすぐに地面に落ちた。
花びらが大きすぎて、太すぎて、重すぎるのである。
ふたつの花で試してみたが、
なんだか、さみしくなって止めた。
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