リレーコラムについて

60歳になっても書ける仕事なのか〜

鈴木康之

当時のコピーライターの年長組には、
1923年生まれの近藤朔さん(TCC2代目会長)や向秀男さんがいて、
次の世代が1930年生まれの、「花のなんとか組」と自慢していた
土屋耕一さん、梶さん、西尾さん、志垣芳生さんたち。
TCCを立ち上げ、『コピー年鑑』を創刊した人々です。
TCC第1回新人賞は、1931年生まれ朝倉勇さん、
35年生まれ久保丹さん、36年生まれ梶原正弘さん、小池一子さん、
37年生まれ脇田(上田)直枝さん、鈴木、38年生まれ国枝卓さん、
それに生年を存じ上げませんが神戸常雄さんなど17名。
土屋さん、梶さん、西尾さん、志垣さんたちは、
当時のビックネームで、もちろん審査委員であり、
日々原稿に厳しい赤鉛筆の直しを入れる鬼のようなボスたちでした。
しかし、いま数えると、30歳を過ぎたばかりでした。
新人である私よりたつた7つだけ年上です。
私は西尾さんの下で日本デザインセンターで3年間、
誘われるままにアド・エンジニアーズを作って3年間、弟子をし、
毎日赤字チェック(鼻血チェックとも呼んでいました)を受けました。
西尾さんはエネルギッシュにニューヨークの広告制作事情を調べました。
最も高名なクリエイティブ派広告代理店のDDBの、
VWのキャンペーンなど感動的な勉強ができました。
ベタービジョン協会の広告キャンペーンのコピーライター、
レオン・メドウさんは、なんと60歳でした。
コピーライターって、60歳になってもできるんだ!
東京五輪の年に西尾さんの先遣隊を務め、
ニューヨークへ視察に行きました。
40歳ぐらいのADやコピーライターが
プールつきの家に呼んでくれました。
日本デザインセンターの初任給は2万6千円でした。
アド・エンジニアーズで役員になって月給は5万円に上がりました。
私の新婚家庭は6畳間と4畳半のDK、銭湯通いのアパートでした。
でも、いつかはクラウン、いつかはプールのある庭つきの家、と。
2008年のTCCの年代の重層、充実はどうでしょう。
30代でディレクター、40代で部長か局長。
ボスと呼ばれる世代は30〜70代の広がりがあります。
72歳の秋山晶さんはあんなにコピーを書き続けています。
71歳の私は協和発酵のシリーズこそ終わりましたが、
まだこっそり書いています。
仲畑貴志さんも岩崎俊一さんも還暦を過ぎました。
みなさん、ますます味が出てきて、すばらしい名人芸。
住宅のほう、私は甲斐性なしで果たせませんでしたが、
お城を建てたコピーライターはたくさんいらっしゃるらしいです。

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