リレーコラムについて

みんな仲よしなんだよな〜

鈴木康之

黒須田伸次郎さんは2006年にコピーの殿堂入りをなされました。
なぜか『コピー年鑑』第1号、1963年版では審査委員をしていません。
64〜67年は審査委員になっていますが、68年から名前が消えています。
表に出るのを好まない人でしたから、なんとなく事情は察せられます。
私たちのおやじさんみたいな人でした。
『広告学校』の初代校長だったのですが、
終了式になかなか見えない。お宅に電話をすると、もうとっくに出た、と。
来る途中に雀荘や飲み屋にふらっと入って、
そのままになってしまうことがよくありました。
運よく終了式にたどりついてくれたとしても、そこからがまた面白い。
壇上でもう1時間近くも話してから、
「こんなことを、しゃべっていていいのかなぁ、時間、大丈夫?」
なんていいながら延々。マイクから離れる気配はありません。
このおじいさんのことを全く知らない生徒たちは唖然。
でも、天野祐吉さんや私には話の全部が面白いから、止めさせたくない。
私に忘れられない話は、
「でもねぇ、あのねぇ、コピーライターってのは、
みんな、いい顔してんだよね」と言ってから、
土屋君、朝倉君、清水君、仲畑君、糸井君、日暮君、真木君、魚住君……、
と思いつくままに十何人もの名前を上げていき、
「あぁ、そこにいる鈴木君もさぁ」と気づいてくれたときの話です。
「仕事柄っていうか、適性なんだか、なんでだか、
コピーライターってのは、いい顔してるんだよ、みんな。
だからみんな、仲良しだよね〜」
壇上から「だよね〜」と言われても、生徒たちには分かりません。
頷くのは天野さんと私だけ。
「あのさぁ、デザイナーやカメラマンたちって、いい顔してないし、
コピーライターたちみたいに、仲いいかなぁ」と私を見る。
ウウンと首振るわけにもいかず、
お褒めにあずかったいい顔をして微笑んでいるしかありませんでした。
しかし私は、黒須田さんが、コピーライターを十把一絡げにして言った
この言葉があまりにも当たっているので、嬉しくなりました。
私たちが30〜40代で飲み歩いている時代、
ADやカメラマンやイラストレーターの勢いのいいのが、
酒の上で殴り合いになったことがよくありましたが、
コピーライター同士ではありませんでした。
一般人とやったというのは、例外的に一二ありましたが。
いまもTCCに続く入会年度別の集まりの元祖は『アワの会』です。
5歳ほどの上下のある30数名の集まりで、
アドバタイジング・ライターズ・アソシエーションのイニシアルでAWA。
当初は広告の勉強会なんかをやっていましたが、
そのうち揃いのハッピを着る月例の飲み会になり、旅をしたり、
ストリップ劇場の前列に陣取ったり、花見をしたり、悪さしたり。
たしかにみんな仲良しでした。
話題が子供の話になり、病気の話になり、孫の話になり。
やがて年末だけの集まりになっていましたが、
笑うのもしんどくなったか、六、七年前、集まらなくなりました。

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