戦後は戊辰戦争
はじめまして。
養命酒製造株式会社というところで養命酒の新聞広告を作っております、
熊谷卓彦と申します。
2007年同期の林潤一郎さんからバトンを引き継ぎました。
>福島県出身、平成の白虎隊こと熊谷さん!
>来週5日間、よろしくお願いしますね。
確かに私は会津出身、高校では剣舞詩吟委員会に入り、
白虎隊の墓前に剣舞を奉納しておりました。
とはいえ高校生にとって、戊辰戦争は遠い昔。
会津魂というものに惹かれていたというよりは、
地元の風物詩としてニュースで報道されることが狙いでした。
白虎隊は戊辰戦争で戦った、会津藩の軍隊の一つです。
年齢は16歳から17歳で、人数は340名程度。
当社は240名程度の会社ですので、
養命酒を造り、売る人数よりも、多かったことになります。
隊員が集団で自刃したことが、白虎隊を有名にします。
山向こうで領地を守り、敗退。
城に戻る途中、山中から見える城は燃えていました。
自刃したのは20名(うち1人生存)。
奇しくも、当社のマーケティング部員とほぼ同じ人数です。
今なら、その悲しみがわかります。
それはさておき、大学生の頃に参加した高校のOB会でのことです。
70歳くらいの紳士が読み上げた訓辞の冒頭、
「みなさん、そろそろ山口県の人たちとも和解していかなければなりません!」
転向を表明するかのような苦渋の表情でした。
自分の祖父の世代の人たちが、本気で戊辰戦争を生きている。
これは喜劇なのか? 悲劇なのか?
戦争は、傷つけられたほうが忘れられないものでしょう。
でも、藩や県、街の悲劇は語られるのに、日本一国の話となると、そうでもなさそうです。
その善し悪しは別として、なぜ?
そんなことを考えていたら、
会津地方で戊辰戦争が代々語られてきたことと、
養命酒が飲みつがれ、企業規模の割に全国的に高い知名度を獲得してきたことには、
関連があることに気づきました。
それは、メッセージがどのように広がるかは
メッセージそのものにすでに内包されているということ。
当たり前といえば当たり前なのですが、こんなことから気づかされると嬉しいものです。
養命酒の場合、ずっと前からそうしたメッセージを見つけるのが上手な人がいたのかもしれません。
創製は1602年。
戊辰戦争よりずっと昔から造られ、飲まれ続けているのでした。
広告をうまく使いながら。
先輩方のおかげ様で今の私の仕事があります。
よろしければ、あと4日間、どうぞお付き合いください。
※会津出身のコピーライターの方、これをお読みでしたらご連絡下さいませ。
kumatakahiko@gmail.com
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